恐ろしく悲しい事件の報は、多くの人をどよよんに突き落とす。
そして、かいつまんだ報道の、
(もうこの世の仕組みとしてどうしようもないのかもしれないが)
その、かいつまんだワードたちが勝手に独り歩きして、
何かまた引き起こすんじゃないかと、またどよよんとしている。
今日私は、個人事業主の届け出を出してきた。
こんな身の上だが、
ささやかながら報酬がいただけるようなことが可能になった。
なんかうまくやってるじゃん、と思われるかもしれないが、
11年前は、下記リンクのブログ記事のように、
グダグダで前の見えない毎日を過ごしていたのだ。
たかだか11年前、されど11年前。
力が産まれてまだ3カ月ほど。
生死を分けるような連続手術をする前の時期の自分は、
力が産まれたことを受容しているつもりでいるが、
今から思えば、
多分まだ真から受容しているとは言えなかったのだろう。
いろいろに、未練たらたらだ。
こんなことを書いたことすら忘れていた。
ちょっと前に久しぶりにこの記事投稿を読んで、
そういえばそんなこと思ってたなあと思いだした。
今、この時の自分に、
大丈夫!どうにかなるって!どうにかなってるって!
と言ってやりたい。
リアル「手紙byアンジェラアキ」(15歳ではないが)。
振り返ると、大変でしんどくてもう終わりたい、
と思うことも多々あったが、
その都度、顔を上げると誰かが手を差し伸べてくれていて、
当の力も、なんとか頑張ろうとしている姿を見せてくれた。
暗きに落ちずに済んで今に至り、
このたくさんのご縁に感謝しつつ濃く有意義な時を過ごせている。
きっと、多くの人がそうだろう。
そんなこんなを積み上げて過ごしてきた人たちの年月と思いを、
一瞬でたたき壊してしまうのは簡単なことだと、
思い知らされたこの事件。
ホントに大丈夫だよ、なんとかなるよ、と声を大にして言いたい。