みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

2016.5.8見られること

近くの大きな商業施設までバギーで散歩に行った。
というか、天気がいいので散歩しよう、
と歩いていたら、思いのほか日差しが強くて暑くて、
店舗の中に入ったというわけ。

感染症などが気になることもあり、
力を人が多いところに同行する率が低いわが家なので、
ここに力と一緒に来たのは本当に久しぶりだ。
連休中の店内は、大いに賑わっていた。
うろうろ歩いていたが、
力は久しぶりに、たくさんの子どもたちから、
「??」という視線をお見舞いされていた。
私たちは慣れきってついうっかりしていたが、
そうそう、
バギーに乗ってる10歳の力は、
10歳にしては小さいが、
一般的なベビーにしては大きすぎるし、
やっぱり、ちょっと違うよね?と思われる子ども。

だから、近くを歩く子どもたちは無邪気に、
なんでこんな大きいなんかちょっと違う子が、
こんな大きな変わったベビーカーに乗ってるの?
という目で力をじっと見る。いわゆるガン見ってやつ。
子どもたちの、それはまさに正常な反応なのだが、
興味深いのがその子どもたちと一緒の大人。
大きく3種類の反応を見る。

1.子どもたちの力に対する視線に気付いているが、
そのことと力には全く気付いていないフリをする。

2.子どもたちの力に対する視線に気づいて、
「ほら、そんなに見ちゃだめよ。」と力から遠ざけようとする。

3.子どもたちの視線に気づいて一緒に力を二度見したり、
あからさまにガン見する。

これらの反応をどうこう言うつもりもないし、
力を授かっていなければ、私も確実にこのうちのどれかだ。
ほかの人のことを気にしてないフリをする人や、
ほかの人にできるだけ関わらないようにしている人は、
昔に比べてとても多くなっているように思う。
力を授かり、多くの他人の中で力を連れて行動してみると、
じろじろ見られることに対して、
ちょっとやだなあ、という気持ちは確かにあるが、
既にもう慣れた。

それよりも、全く存在無視されてるなあと感じる時がまさに、
ちょっとねえ、これは良くないなあと思うようになった。

先日、連休前に、バスで下校してくる力を、
バスの停留所の一つの大きな駅前のロータリーで待っていた。

バス到着後、バス介助の先生から力をうけとり、
吸引器とバッグと力を抱えて車に戻り、乗せて帰宅が日常。
降車場から車を停車しているところまで、それなりに歩く。

力は18キロ、吸引器セットは約5キロ、バッグは1キロくらいか。
約25キロを抱えてえっちらおっちら歩いてる私と、
降車後だいたいご機嫌でわあわあ騒いでいる力の二人組は、
客観的にみれば結構滑稽だと思う。

が、それをいちいち気にしてる人はほとんどいないし、
それは当り前の風景だ。
そんな私たちを見かねたのか、
お仕事帰りとおぼしき妙齢の女性がささっと歩み寄ってくれて、
「何かお手伝いしましょうか?」
と声をかけてくれた。

車のすぐそばだったので、
あ、それなら、車のドアを開けていただいていいでしょうか?
と言うと、
そんなことでいいの?と、すっと開けてくれた。
そして、力に、さよなら~と声をかけて去って行かれた。

翌日も、
同じ方が、ちょうど同じくらいの場所歩いておられて、
あらー、今日も会いましたねえ、と、
何も言わずにドアを開けてくれた。

多分、その方は、
今日はいいことしたわあ、などとは思ってないと思う。
でも、私たちにとっては、
その方の軽いお声かけと手助けは、
大げさでなく涙が出るほどうれしいことなのだ。

こんな行動を起こしてくれる人はほとんどが、
じろじろ見るわけでもないが、
気付いていないわけでもない、というスタンスの素敵な人たち。
こんな人にならないとなあと、思わせてくれる人たちだ。

決して親切にしてほしいというわけではない。
ちょこっとでも気に留めておいてもらってれば、
何かあった時に、ありがたいなあと思う。
できるだけ自分たちで完結したい気持ちでいるが、
何か困ったことが発生して見回した時に、
私たちが空気みたいになってたら怖いな、と思うこのごろ。
なので、今はガン見の方が、ガン無視より全然アリだと思う。