まさか熊本の中心付近でこんなに大きな地震が起こるとは。
誰もが思ったこんなことが、つまり万が一、ということだ。
わが家のような重度障害の家族がいる家は、
多分、一般家庭とは異なる万が一の備えになっている。
正直なところ、避難する、というイメージを作りにくい。
相当なことがない限り、籠城するしかないなと、思っている。
多分、一般家庭とは異なる万が一の備えになっている。
正直なところ、避難する、というイメージを作りにくい。
相当なことがない限り、籠城するしかないなと、思っている。
どんな時でも、自分にも起こりうると考えてなけりゃならん、
とよく言われるが、
多分大部分の足弱ではない人たちは、
緊急時でもなんとなるだろうし、もうなるようになるしかない、
と考えている部分があると思う。
私も、力を授かる前は、全然そうだった。
走れるよ、モノもたくさん持てるよ、自分の頭で考えられるよ。と。
とよく言われるが、
多分大部分の足弱ではない人たちは、
緊急時でもなんとなるだろうし、もうなるようになるしかない、
と考えている部分があると思う。
私も、力を授かる前は、全然そうだった。
走れるよ、モノもたくさん持てるよ、自分の頭で考えられるよ。と。
でも、まずは、母親になってから、
そして、さらには力がうちにやってきてから、
もうそういう風には思えなくなった。
自分ひとりの問題ではない。
そして、さらには力がうちにやってきてから、
もうそういう風には思えなくなった。
自分ひとりの問題ではない。
天災や災害、事故は、起こって報道されるたびに涙が出そうだ。
毎回、自分に置きかえる。私だったらどうする?と。
毎回、自分に置きかえる。私だったらどうする?と。
実はほぼ毎日、なんか起こったことを想定する。
逃げ方や持ち物をチェックする。実際準備もしている。
が、現実となっても逃げることを選択できるのか?とも思う。
逃げ方や持ち物をチェックする。実際準備もしている。
が、現実となっても逃げることを選択できるのか?とも思う。
避難所は、
映像でちょこっと見からは考えられないハードさだろう。
親切な人もたくさん居るだろうが、
いっぱいいっぱいの人の方がその何十倍も居るはずだ。
頼ってください、と声かけてくださるのはありがたいが、
実際は、頼ることが難しいことだらけだ。
映像でちょこっと見からは考えられないハードさだろう。
親切な人もたくさん居るだろうが、
いっぱいいっぱいの人の方がその何十倍も居るはずだ。
頼ってください、と声かけてくださるのはありがたいが、
実際は、頼ることが難しいことだらけだ。
わが家みたいな重度障害の家族がいる家庭は、
公民館などのいわゆる一次避難所に避難した後に、
次に行く場所である「福祉避難所」を案内されるらしい。
最初から福祉避難所を教えてくれてたらいいじゃないか、
と問うと、それはいろんな理由から難しいらしい。
公民館などのいわゆる一次避難所に避難した後に、
次に行く場所である「福祉避難所」を案内されるらしい。
最初から福祉避難所を教えてくれてたらいいじゃないか、
と問うと、それはいろんな理由から難しいらしい。
福祉避難所はいわば非公開避難所なのだ。
障害がある人などを中心に受け入れる場であって、
広く公開すると、広く人を受け入れることになるから。
障害がある人などを中心に受け入れる場であって、
広く公開すると、広く人を受け入れることになるから。
わかるのだが、2度手間であることは変わりない。
直行したいんだもの。
直行したいんだもの。
行政ができることは限られている。
先日、消防の方の講演を聞いたが、
救急要請をして助けられた人はほんの一握りが現実。
阪神大震災後に随分整備して、
ようやく7%程度まで上がったという。絶句だ。
でもよく考えれば、
ヘリで一人助けるだけでもあれだけ大変で時間がかかる。
もっとやれよ、とは言えない。
先日、消防の方の講演を聞いたが、
救急要請をして助けられた人はほんの一握りが現実。
阪神大震災後に随分整備して、
ようやく7%程度まで上がったという。絶句だ。
でもよく考えれば、
ヘリで一人助けるだけでもあれだけ大変で時間がかかる。
もっとやれよ、とは言えない。
そんな話を聞けば聞くほど、
避難は最終手段ではないかと思ってしまう。
なので、
わが家は籠城型の万が一の備えである。
備蓄食糧と水を確保する。物品を多めに確保しておく。
避難は最終手段ではないかと思ってしまう。
なので、
わが家は籠城型の万が一の備えである。
備蓄食糧と水を確保する。物品を多めに確保しておく。
それでももっと究極の状況も来るだろう。
多分、その時、私一人で子どもたちをなんとかせねばならん。
娘たちは体力もあるし、考える力も少しはある。
彼女らに私と力のヘルプをさせた方がいいのか、
それとも、彼女らだけを逃がした方がいいのか。
その判断を、私はちゃんとできるのか、考えるだけで恐ろしい。
多分、その時、私一人で子どもたちをなんとかせねばならん。
娘たちは体力もあるし、考える力も少しはある。
彼女らに私と力のヘルプをさせた方がいいのか、
それとも、彼女らだけを逃がした方がいいのか。
その判断を、私はちゃんとできるのか、考えるだけで恐ろしい。
天災は必ずいつかは起こる。
その時に思考停止しないように、
瞬発力を発揮できるように、考えて考えて準備するだけだ。
人は無力。。
その時に思考停止しないように、
瞬発力を発揮できるように、考えて考えて準備するだけだ。
人は無力。。
ちなみに、現時点では私たちにやや間接的な天災の熊本地震で、
準備していることは以下。
準備していることは以下。
・床を片付ける
・窓を解錠しておく
・すぐに外に出ることができる服装でいる
・娘たちとシミュレーションをする
・吸引器などの医療機器の充電をしておく
・バギーをすぐに動かせるようにしておく
・薬をひとまとめにしておく
・窓を解錠しておく
・すぐに外に出ることができる服装でいる
・娘たちとシミュレーションをする
・吸引器などの医療機器の充電をしておく
・バギーをすぐに動かせるようにしておく
・薬をひとまとめにしておく
被災したエリアが一刻も早く平常に戻ることができますように。