みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

2016.4.16万が一の備え

まさか熊本の中心付近でこんなに大きな地震が起こるとは。
誰もが思ったこんなことが、つまり万が一、ということだ。
わが家のような重度障害の家族がいる家は、
多分、一般家庭とは異なる万が一の備えになっている。
正直なところ、避難する、というイメージを作りにくい。
相当なことがない限り、籠城するしかないなと、思っている。
どんな時でも、自分にも起こりうると考えてなけりゃならん、
とよく言われるが、
多分大部分の足弱ではない人たちは、
緊急時でもなんとなるだろうし、もうなるようになるしかない、
と考えている部分があると思う。
私も、力を授かる前は、全然そうだった。
走れるよ、モノもたくさん持てるよ、自分の頭で考えられるよ。と。
でも、まずは、母親になってから、
そして、さらには力がうちにやってきてから、
もうそういう風には思えなくなった。
自分ひとりの問題ではない。
天災や災害、事故は、起こって報道されるたびに涙が出そうだ。
毎回、自分に置きかえる。私だったらどうする?と。
実はほぼ毎日、なんか起こったことを想定する。
逃げ方や持ち物をチェックする。実際準備もしている。
が、現実となっても逃げることを選択できるのか?とも思う。
避難所は、
映像でちょこっと見からは考えられないハードさだろう。
親切な人もたくさん居るだろうが、
いっぱいいっぱいの人の方がその何十倍も居るはずだ。
頼ってください、と声かけてくださるのはありがたいが、
実際は、頼ることが難しいことだらけだ。
わが家みたいな重度障害の家族がいる家庭は、
公民館などのいわゆる一次避難所に避難した後に、
次に行く場所である「福祉避難所」を案内されるらしい。
最初から福祉避難所を教えてくれてたらいいじゃないか、
と問うと、それはいろんな理由から難しいらしい。
福祉避難所はいわば非公開避難所なのだ。
障害がある人などを中心に受け入れる場であって、
広く公開すると、広く人を受け入れることになるから。
わかるのだが、2度手間であることは変わりない。
直行したいんだもの。
行政ができることは限られている。
先日、消防の方の講演を聞いたが、
救急要請をして助けられた人はほんの一握りが現実。
阪神大震災後に随分整備して、
ようやく7%程度まで上がったという。絶句だ。
でもよく考えれば、
ヘリで一人助けるだけでもあれだけ大変で時間がかかる。
もっとやれよ、とは言えない。
そんな話を聞けば聞くほど、
避難は最終手段ではないかと思ってしまう。
なので、
わが家は籠城型の万が一の備えである。
備蓄食糧と水を確保する。物品を多めに確保しておく。
それでももっと究極の状況も来るだろう。
多分、その時、私一人で子どもたちをなんとかせねばならん。
娘たちは体力もあるし、考える力も少しはある。
彼女らに私と力のヘルプをさせた方がいいのか、
それとも、彼女らだけを逃がした方がいいのか。
その判断を、私はちゃんとできるのか、考えるだけで恐ろしい。
天災は必ずいつかは起こる。
その時に思考停止しないように、
瞬発力を発揮できるように、考えて考えて準備するだけだ。
人は無力。。
ちなみに、現時点では私たちにやや間接的な天災の熊本地震で、
準備していることは以下。
・床を片付ける
・窓を解錠しておく
・すぐに外に出ることができる服装でいる
・娘たちとシミュレーションをする
・吸引器などの医療機器の充電をしておく
・バギーをすぐに動かせるようにしておく
・薬をひとまとめにしておく
被災したエリアが一刻も早く平常に戻ることができますように。