みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

チャレンジド

障害がある子どもを持つ親の会が出している会報を病院で見かけたので読んだ。
力よりももっとたくさんの大変な山を乗り越えた子達の親の体験談やコラムが載っていた。
そこに、
「海外では、障害児、障害者、のことを、
課題を与えられたり使命を持ったもの、
又はそのチャンスをもらった者=The charangedチャレンジド、と呼んでいる、
チャレンジドをあらわす適切な日本語はないから、チャレンジドという呼び名を広めよう。」
というような趣旨の内容があった。

なるほど。まさに、最近力を見て、
課題を背負って、何かの使命を持って、きっと生まれてきたんだろうな、
と思っていたところだったので、
「charanged」
は、しっくりきた。英語ならではの簡単でわかりやすい、とてもいい得てる言葉。
マイナスイメージを思い起こさない。理想的だ。

でも、やっぱり今の日本ではこの呼び名、広まらないだろうな。
外国語であることもだが、
広める以前の、意識の次元の問題。
自分だって、今、当事者になってみてようやく「チャレンジド」を理解できるもの。

バリアフリーだ、ユニバーサルだ、と言われて久しい。
でも、そんな言葉を使う人の中で、
どれだけの人が真に意味を理解しているだろう。
かくいう私も、
この分野の講義やお話をさせてもらうことがあったが、
平気で分かっているかのように話していた。
今考えると、本当に恥ずかしいことだ。
本当の意味は、ちょいと勉強したところで身につくものではない。

今の社会。
身障者用駐車場に平気で停める、
スロープや点字歩道に駐輪する、
白い杖の意味を知らない、
日常の、悪気ない行為が、当たり前のように多すぎ。
本来、大人が子どもに正しいことを教えねばならないこれらのことを、
大人自身がやってちゃ救いようがないやんか。

まだまだだ。というか、悪くなってないか?
どうすりゃいいんだ。
あきらめずに地道にやっていくしかないんだろか?