みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

大波の後は凪続く

予定通り退院して、なかなかいい感じで過ごしていた夕方、
2度ぴくつきをみた。

そりゃ2時から起きてるんですもん。
早めに風呂入れて、早めに寝る体制にしてやろうと、
ばたばた準備して、いつもは入浴前に夜投薬するのだが、
早い時間帯だったし、そのまま明るいうちに入浴。

あがって、着替えてしばらくするとぴくつき何度か。夜投薬。
さあ、これで大丈夫でしょう、と思いきや、それから一気に大波に。

だいたい投薬して10分程度でおさまるのだが、
まったく収まる気配なくどんどん進行していき、
これはいかんと、迷った末、約30分後に頓服の薬を投与。すぐにおさまった。

夜の常用分にも頓服薬と同じ薬があり、
常用と頓服と、一日に飲ませる量としては止められてはいなかったが、
それにしても、その間30分で、投与していいのかものすごく考えて、
抗けいれんの作用もある水薬とどちらにしようか、最後まで迷った。

収まったし、その後はぐっすり安定して眠ったので、よかったのだが、
術後、思いのほか安定していた、ととらえていたことに、自己嫌悪だった。
退院後に耳鼻科を受診しにいかずに延期して本当に良かった。
もし行ってたら、もっと大変だったかもしれない。

それにしても、久しぶりの結構な発作状態。
約一カ月先には今年度の大イベントの修学旅行も待っているし、
直近の中イベントとして、娘たちの体育祭のロング留守番も待っている。

どっちも、大丈夫だろうかと、頭を抱えてその日は終了。

そんなこんなで、翌日は昼から訪問看護師さんだったのをキャンセルし、
まったり過ごした。
どこからどう、何がでてくるか、と、ひやひやしながら過ごしたが、
まさに、杞憂に終わり、とても安定して過ごせていた。
ただ、分泌物が多く、妙なにおいがした。これは懐かしいにおい、副鼻腔炎ぽい。

退院当初から心配だったのは、
術後の覚醒前、口内からの出血による気管部分からの血性の分泌物だ。
鮮血状態で、それなりの量が吸引できた。
肺に流れ込んでないか、肺炎になって熱が出るのでは、と。

が、熱が出ることもなく、分泌物は多いが機嫌は悪くない。
術後の抗生剤は三日分処方されており、
それでさまざまを抑えられている可能性はある。
薬がなくなる金曜の昼以降が、続けて要観察だ。

木曜は分泌物が多いだけでとても機嫌がよく顔付もよく、おだやかに早寝した。
夜の寝方も悪くなく、少し鼻がぐすぐすいってたが、なんとか。

翌朝、金曜の朝の分泌物は少々怪しい風だったが、すぐにおさまり、
ある程度吸引回数は頻回ではあったが、元気に過ごす。やっぱりおだやかに早寝。

土曜は昼から訪問看護師さんに来てもらった。
以上のもろもろの心配事や質問事項をぶつけて、解消してもらった。
抗生剤の効果が切れてくる週末の様子からの判断で、との見解。
ケアの時間帯はとても機嫌がよく、分泌物が多いだけだった、とのこと。

その後も機嫌良く、たまに騒ぐが続かず、排泄も少し多めだが悪くなく、
分泌物が多く、副鼻腔炎ぽい以外は、術前の力よりも断然良い。

夕方家族が三々五々帰宅してきてうれしそう。
予定通りのスケジュールをこなし、また早寝。
術前の2週間ほどは、夕方のぴくつきがいつ出るかと、
ものすごく神経質になっていたのだが、ほぼ皆無と言っていい。

大波の時に投与した頓服薬は、長めに体に残ると聞いていた。
その影響なのか、それとも、体調が改善したのか、体重が増えたのが良かったのか、
抗生剤の影響なのか、8月頭に増量した抗癲癇剤の効果が表れてきたのか、
それのどれかか、複合要因なのか、確たることはわからないが、
とりあえずなんとなくよさげな状態はありがたい。

日曜朝は早いうちから私以外の家族は外出してしまい、まったり。
当地はここ数日、エアコンなしで過ごせるほどとても快適な初秋らしさ。

吊るしおもちゃを眺め?考え事をしてる?よくわからんが、とても安定のぼうず。
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