数人の中の一人の折り手として手伝う際の、あのノルマ感。
皆で集まって折るなら、まだ本来の目的に近いと思うのだが、
それぞれの折り手に折紙何枚かが配布され、
いついつまでに折ってくること、と指令が出るものは、実際受け入れがたく、
なんやかんやと理由をつけて協力しない率が高い。
最近は千羽鶴も通販で簡単に購入可能らしい。需要があるからだろうが意味不明だ。
振り替えれば力が生まれた当初、私たちが千羽鶴を送られるような対象だった。
千羽鶴も、そのような類似物もいただいたことはないが、
友人知人はもちろん、見たことも会ったこともない誰かから、
目に見えるモノではない何かを受け、
それを大きな糧にして乗り越えた実感ははっきりある。
最近、周囲でなかなかシビアな状況で闘っている人が多く、
そんな人たちのことを考えるにつけ、自分の無力感を感じる。
当方は現実の生活を継続しながら、
一方ではうまくいくことを願い応援するのは少しかけ離れていて、
こちらの日常がなんとなく申し訳ない気にもなることもある。
でも、自分がそうだったように、本当の思いは伝わるものだ。千羽鶴不要。
こういう時に私は、
深く考えすぎないよう思いをはせながら、
いつでも生活のために途中で手を止められる、
ちくちく単純な作業をやることにしている。渡す目的無の。
今回はちいさなラグ。家にあるもので、手作業で。
みんなみんな、頑張れ!
※ちなみに、千羽鶴自体は否定していません。
念のため。