みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

このままこのまま

週明け登校し、早帰りしてリハビリに行った。
月曜からなかなかハードだが、先週よりも元気にこなせた。リハもいい感じ。
 
翌日火曜は、大学病院で気道周りのCT検査が予定されていた。
いつもより早く家を出た。
きっと午前中だし、駐車場待ちが大変だろうと、じいちゃんばあちゃんにヘルプを頼んでいたが、
到着してみると、意外に空いており、予定検査時間通りに受付できた。
検査は大きな立派なCTスキャンに寝て行われるが、
検査技師の先生に、
「動かなければ5分くらいで終わりますからね。」
と言われた。暴れないかなあ~、と少々心配しながらベッドに寝かせてみたら、
状況理解しているかのようにおとなしく横になってる。
両手を下にしてバンドで固定してもらい、そのまま私は外に出て待機した。
5分もたたずにドアが開いた。あっけなく終了。
検査慣れしてきたなあ。やるなあ力。
 
ということで、今からでも登校できるんじゃないかという時間帯に病院をあとにして、
それから終日のんびりすごした。
いつも大学病院に行った後は少々具合が悪くなる率がかなり高いのだが、
力、やっぱり、というか、終日おとなしく、ぼんやりしていたように見えた。
夕方の看護師さんの時間帯に30分ほど寝て、夜も早く寝た。大丈夫かなあ。
 
翌日の今日、朝やや遅めに起きて、機嫌は悪くないが、ややぼんやり継続中。
体温も少しだけ高め。
今年初のアイスノンを背に登校。
登校した途端に、にこにこし始めた。学校好きらしい。
 
イメージ 1早帰りせねばならんかもな、と思いきや、
6時間終了後で元気に過ごせた。
午後は現在栽培中のアサガオの点検に、
お友だちと外に出かけていったよ!
イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
帰宅後も元気で、夜早々に眠った。いいリズム。
このまま梅雨を、波を起こさずに過ごせて、抜けられるといいな。
 
さて、今日、学校で、校長面談があった。
 
医療ケアが必要な子どもたちは、学校看護師さんにケア代行を依頼して、
それが可能であると判断されれば、健康であれば、保護者は学校内での子どもの付き添いをすることなく、
子どもだけで学校生活を送ることができる、という仕組み。
 
ケアが不要で、身体状況が落ち着いている子どもたちはスクールバスに乗って登下校する。
学校ではカリキュラムの違いこそあれ、
子どもたちと担任の先生方だけでの、いわゆる「学校生活」を送ることができる。
肢体不自由児の学校であっても、その子が医療ケアが要るか否かで、大きく大きく違う。
ぶっちゃけ大きく太く線引きをされる。という風に、思う。
 
学校以前の療育の場でも、もちろん、力のようなケアが必要な子は、
よりたくさんの方々にかかわってもらい、いろいろなお世話をお願いして、
ようやく療育の場にいることができるのだが、
学校は教育機関である(と今日の校長先生も声を大にして私に何度も言っていた)。
全然違うステージにやってきた、と言っても過言でないと思う。
 
それでも、現在通っている学校は、看護師さんが数人いて、ケア体制は整っている方だ。
体制整っていると思ったから、この学校を選んだという経緯がある。
が、代行でケアをお願いするに当たっては、いろんな手続きと段階を踏まねば、ならない。
覚悟していたとはいえ、まだ初期段階の「校長面談」なのだ。
もう梅雨時期だというのに。
ずっと教室の後ろで授業の始めから終りまでずーっと待機しているのは、なかなかの重労働、
どちらかというと精神的な疲労がたまる。
 
まだまだどうなることやら、という段階。
現時点でいろいろ考えずに、淡々と、毎日をこなすべく、意識的にニュートラルになろうとしているところ。