みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

チチ、カエル

3月全日程終了。くたくただ。
 
なんでか?
 
おねえNの卒業式、力の卒園式。
だけでもハードなのに、
3月頭に、予想外に、単身赴任している夫が、異動でこちらに戻ってくることが決まったため。
 
夫から知らせを聞いて、絶句した、というのが一番近い。
 
え、まじで?
 
それからというもの、力をはじめとして、おねえたちの体調管理に加え、家の片づけ大わらわ。
卒業、卒園に感慨深い時期であるはずなのに、すっかりバタバタな日々となった。
 
夫は独力で引っ越しするのが初めてという、甘やかされた人間だ。(といってもinとoutは引っ越し屋さん)
異動が決まったその日から、ほぼ毎日のように送別会だった夫。
加えて、元々予定されていたおねえNと力の卒業、卒園式には、空路で戻ってくることになっており、
引っ越し作業をやるための貴重な週末を確保するため予定を変更して、
両日ともに当地一泊泊まりにてとんぼ返り、週末延々と荷造りをしていた。
今までやったことないから、きっと人の何倍も、らちがあかなかったに違いない。
現に、こちらに戻ってきた荷物のうち約2割ほどは私に廃棄させられた。
 
こちらはこちらで、夫の戻るスペースを確保し、
また、Nの卒業を機に子ども部屋のリニューアルも含めて、プチ模様替えせねばならなかった。
たくさんの物を目をつぶって整理した。これはこれで、いいことだった。3月は最強捨て魔となっていた私。
 
現自宅は、まだ忙しく共働きしていた頃、越してきた。
そして、そのあとに力を授かり、その後は、家の片づけなんて、二の次三の次だ。
とにかく生活するスペースだけをなんとか確保してきて今に至る。
転居してきた際の段ボールが、まだ開けずに残っていた位だったので、この際、全部開け、ほぼ捨てた。
 
力の卒園式が終わった後、
もともと約束していた、おねえNが卒業祝い旅行に旅立った(東京ディズニーランド)。
関東の居宅を引き払った夫とNが合流して当地に戻ってきた翌日に、夫の荷物入れ。
ようやく年度末までに、大方終了した。
感慨に浸る暇ナシ。
 
無事に終わったのはひとえに、力がにこにこと機嫌よく、体調も崩さなかったからだ。
ほこりっぽい家だっただろうけど。。。ごめんね、ちから。
 
 
夫、行く前は2,3年だと言っていた関東地区での勤務は、約5年となった。
ここで、強調しておきたいのは、
夫は、「自ら希望して」異動していったのだ。
決して、会社に強要されて異動したのではない。
 
単身赴任する前に、さんざん、家族も一緒についてきてほしい、などと、夫、手前勝手な要望をしていたが、
力をケアしていただく方々の協力体制が整ってきたこの場を振り切って離れる選択は、私にはあり得なかった。
こちらはこちらで成果を出す、夫は夫で、赴任先で成果を出してくればよい、と送りだした。
力は1歳で、まだ一月に何度も入院していて、
おねえRはまだ保育園児、Nも小学生になったばかりの時である。
 
戻ってきた夫は、それなりの成果を出したと言っていた。
こちらも、子どもたちと無事に、元気に過ごせたんだから、それなりの成果を出した、と思っている。
 
イメージ 15年もの間で、自宅はすっかり「私の家」になってしまった。
夫の異動を聞いたたくさんの皆さんからは、
よかったですね、これで安心、と、言われたが、
私は、4人から5人の生活になることへの、
心配の方がたくさんある。
私がより楽になる事柄って、
あんまりないのではないのだろうか。(言い過ぎか)
 
きっと夫も、家での居場所が見つけにくいだろう。
スペースは半畳ほど作ってやったが。
 
ま、戻ってきたって言っても、
夫は週末休日しかまともに自宅にいませんしね。
「私の家」のままで行かせてもらいますし。
加えて、夫には、この5年分やらなかった、
「やらんといかんこと」はしっかりやってもらいますし。
 
 
 
 
 
 
最後になりましたが、
母一人、子ども三人の毎日を支えてくださった看護師さんやヘルパーさん、保育士の先生たち、友人たち、
急な入院時や、おねえたちのお世話を厭わず笑顔でやってくれたじいちゃんばあちゃん、
母をがんばらせてくれた子どもたち、
ありがとう、ありがとう!!
 
これから新生活。元気にがんばっていきます!