はるかが亡くなった。
おねえRと保育園で一緒だったはるか。
知的障害があり年齢はRの一つ上だった。体格良く、いつも楽しそうに過ごしていたはるかとは、
はるかの転園で、一緒に卒園こそできなかったが、
それまで、同じクラスでもほとんど交流なかった「はるか母」には、
力を授かってからずっと、文字通り先輩母ちゃんとしてコアな相談に乗ってもらったり、はるかの今を聞いたり。
はるかにも、力が通う通園施設で、たまに会えていた。
はるかの病気は脳腫瘍。進行性。
一昨年、かなり厳しい局面を迎え、
担当医師チームのほとんどが、成功の可能性が低いと判断した手術を奇跡的にクリアし、
学校に通えるほどに回復した。
そして昨年末に、はるか母から「今までで初めて、病状が前回よりも良かった」との吉報を聞いたばかりだった。
今朝方亡くなった、と、朝、連絡をもらった。
担当ヘルパーさんに相談すると、休暇を押して快く力のケアに入ってもらえたことで、
夕方のお通夜に、おねえたち二人同行して行くことができた。
はるかが亡くなってから12時間しかたっていない。でも、お通夜の会場には人があふれていた。
ギリギリに到着した私たちは、駐車場にも、会場にも入れなかったほど。
会場には入れなかったが、後からはるかには会えた。
いつもと同じ、穏やかな顔で、はるかは目を閉じていた。
一昨年前から、周りで訃報が続き、気持ちの整理ができずにいた。
共通感情として、毎回、何かに怒りがこみ上げてくることは変わりない。涙も出ない。悔しくて仕方がない。
何に?というのは、よくわからん。病魔になのか、理不尽さになのか。
そして、怒りの後はいつも、自分がたくさんの刀かなんかの武器がじゃらじゃら入った背負子を背負い、
びゅうびゅう風が吹く荒れた地を歩き続けているような感覚になっていた。
でも、今日のはるかの顔からは、誰かや何かにどこかに連れていかれた、という感じがしなかった。
はるかは、自分で決めて、行ったんじゃないのか?
今までこんなにもハードな道をクリアしてきたはるかだもの。
もしかして、今まで見送った子たちも皆、自分で決めて、行ったのかもしれない、
そう思えるような、ぴかぴか光る、はるかの顔。
救いだ、と思った。
Rだけでなく、上のおねえNも、もちろん、はるかのことはよく知っている。
おねえたちと帰りの車の中で。
「はるかは、今頃、天国で、みのりちゃん(一昨年亡くなった)たちと、たくさんスイーツとか食べて、
走ったり、遊んだりして、楽しくやりようやろうね。そして、こっちみて、おーい、とか言いようかも。
おーい、はるかーーー、ばいばーい!楽しくやってねー!!」
何か楽しそうにもみえる、NとR。子どもたち同士の垣根は、本当に低い。
そして、そんな彼女らと話していること、それもまた、私の救いでもある。
はるかは、今までたくさん、周りから「がんばれ!はるか!」と言われてきただろう。
でも、これからはずっと、今生きている私たちに、「がんばれ!みんな!」とエールを送ってくれるに違いない。
はるか、ありがとう。がんばるよ!