みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

ハハの休暇

力は先月から「日中一時支援」サービスを、通園施設で受けることができるようになった。
これも、お世話になっている園や、スタッフの先生方のおかげだ。
 
「日中一時支援」とは、保育園等で言えば、「一時保育」のことで、日中何時間かをお預かりしてもらえるもの。
力のクラスのお友だちで、早い子は1歳児から利用していたが、
うちは、医療ケアがあることや体調不安定で、
今通っている園でのお預かりはなかなか難しい状況だったため、今になった。
 
この日中一時支援は、短期入所(ショートステイ)などと共に、
主たる介護看護者または、育児中の家族を一時的に休ませるための「レスパイトケア」としてくくられる。
少し前までは、利用するには、社会的事由(冠婚葬祭、当事者の病気など)がある場合のみ、だったが、
今では、ただ休みたい、という理由でも利用することができる。
 
 
力が大きな手術を何度かして、生きることができ、自宅看護になった0歳児から2年ほどは、
今となっては、あんな状態でよくやってたな、というほどの看護漬の毎日だった。
若かったからねえ、などと、冗談では済まされない。
いくら体力がある方の私であっても、火事場の馬鹿力、そのもの。
力の命を守らねば、という一点に突き動かされての毎日。
 
多くの介護看護者の最もつらい状況は「慢性的な睡眠時間激短」だと思う。
人間というのは、睡眠が不足すると、必ず心身ともに破たんが来る。
攻撃的になったり、後ろ向きな状態になって、自己嫌悪の繰り返しだ。
 
もう、すぐ目の前に、ボーダーラインが見える。
あの線まで行ったらまずい、という感覚が残っているうちに、何とかしなければ、
力か私か、どちらが先にぶっ倒れる前に何とか、何とか、と、
レスパイトケアのサービスの情報を手に入れ、問い合わせると、
結局は実際は使えない、形骸化した制度ばかりではないか。
まさに、なんじゃそりゃあ、なのが現実だ。
 
現実的に私たちに起こる可能性がかなり大きいと考えられたのが、私が昏倒し訳が分からなくなった場合。
力を数日間でも面倒見てくれる場や人がいるのか、それがそのころの毎日の懸念事項だった。
 
こんな場合は、短期入所(ショートステイ)のサービス利用が、一般的に考えられる。
当地では、このサービスを提供している施設は大きな病院二箇所。
どちらも、まずはカルテを作りに来てください、と言われたので、這うように行って見学もさせてもらったが、
特に最初に行った、自宅最寄りの病院は、あまりにも、顕著だった。
 
「力をここにあずけるなんて、絶対無理。。。」
 
行ってなおさら、私は追いつめられて帰宅した。私は絶対に倒れられない。何があっても。と。
今でもよく覚えているが、その時、頭の中に鮮明に「弁慶の立ち往生」のイメージ。
たくさん矢が刺さって息絶えても、立ち続けるあの壮絶な姿。
 
幸い、もうひとつの病院は、最初に見学した病院よりもずいぶんよかったので、少し救われたが、
どちらにせよ、
当地、ひいては、我が国の「レスパイトケア」の意識も、制度も、貧弱なんてもんじゃないと、憤り、
安心感など、ほんの少しも持つことができなかったのだった。
 
本当にありがたいことに、訪問看護師さんや、ヘルパーさんのおかげで、
私の体調や精神状態が大幅に崩れることもなく、
また、周りのたくさんの方々のご厚意で、
少しの不自由さもあっただろうが兄弟児も、そこそこに毎日を過ごすことができ今に至る。
そして、ついに、「日中一時支援」サービスも利用できるほどに、力も安定し、力をつけた。
まだ数年間の看護生活だが、小さな修了証を渡された気分だった。
 
数年前の、昼も夜もよくわからないような、病院以外、一歩も家の外に出ないことがほとんどの日々、
この先、いつまでこんな状態なんだろうか、私が生きている限り永遠に続くのか、と、思っていたが、
波を何度もくぐって過ごしているうちに、いつのまにやら、こんなに遠くまでやってきてる!
 
 
先日の日中一時支援を予約している日は、
4か月ぶりに髪切りにでも行こう、と考えていたが、
力は珍しく朝方から嘔吐し、こりゃ預けられんな、髪切りくらいは我慢すれば済むことだし、
と半ばあきらめていたのだった。
 
しかし、起床時、力は意外に普通にしていた。といっても、嘔吐の事実はあるので、
園に電話すると、熱もなくて安定しているなら、大丈夫よ。連れておいで、と言ってもらった。
私は、力を授かってから初めて、「時間制限なし」で自分だけの時間の美容院に滞在できた。
一人で移動中、大荷物抱えずに、シビアに時間を気にせず歩けるこのひとときのありがたさを感じたものだ。
 
そして、また、振り返って、こんなレスパイトな時間が、今ではなく、
やっぱりあの数年前の、しんどい時期に、少しでもあったらよかっただろうなあ、
としみじみ思ったのだった。
 
ハードな時期が最もケアすべき時なのに、いろんな制約で不可能なんて、不条理極まりない。
 
海外には、主看護介護者のレスパイトから、ご家族を亡くした後の心身ケアまでもする、
レスパイト&ホスピスのような形式の施設がたくさんあるそうだ。
そして、当地でもそんな施設を作ろうとする動きがあるらしい。本当に歓迎したい。
 
看護介護、育児のほかにも、いろんな場面において、ストレスフルな社会の中で、
ストレスを感じている人にはすべて、安心して、いったん休憩できるようなサービスの構築は、
長い目でなくても、福祉の枠を超えて、結局は発展につながるのだと、信じる。