みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

東京千葉4泊5日の旅(BFとTDR編)

(また長文御容赦)
 
当地では力がいる場合は100%自家用車での移動だが、関東での移動は公共交通機関が主。
当初予定も、羽田到着時~千葉の夫居宅のレンタカー移動以外は、全て公共手段とした。
本当は都内に力を連れて行ってみるつもりだったが、結果的に公共手段で力が移動したのは最終2日間のみ。
家族全員で動いたこの2日間が、今回の旅のメインイベントとなった。
 
というのも、行きの飛行機の負担か、それとも台風の影響の冷たい雨が続く天候のせいか、
到着して3日間は、力はどんよりモード、外出せずに過ごした。毎日留守番。
 
明日はみんなでディズニーランド、その後リゾート付近で宿泊する、という日、
おねえNと夫は東京見物、力とRと私は留守番、お天気はようやく雨が上がった日。
 
力は前日に引き続き、午前中は何となく生気ない目でぼんやり。
明日は無理かも?翌日は飛行機だし。
 
行き帰りをレンタカーにして、宿泊は中止、という方向で再検討。
レンタカー屋に問合せると、車種が限られるらしい。うーん、まあしゃあないなあ。
Rに尋ねてみた。
母:あのさあ、明日さあ、ちーくん、きつそうやけん、お泊まりやめにして、
  車でピっと行ってピッと帰ってくる、ってことにしようかと思っとーちゃけどさ、どう思う?
R:えーーーいやだあああー。お泊まりが楽しみやったのにさー温泉もー。(温泉付き宿泊施設を予約)
母:でもさ、ちーくんが具合悪くなったら、すぐに帰ってこないかんし、次の日は飛行機やん?
R:いやだーいやだー、お泊まりがいいもん。お泊まりお泊まりー。
母:そんなこと言ったって。。。。。
 
母子でいやなムードになってしまった。
夫に電話しこの計画変更を提案してみると、それはそれでいいけど、との答え。夫もともとTDRは乗り気でない。
 
Rとまた話してみると、ぶーたれながらも、
「じゃ、いいよ、それでも。でもさー、ちーくんてさ、ずーっと留守番やけん、いじけとーっちゃないと?
だって、ずーっと同じところに寝かせとーやんか、飽きとーとよ。多分。」
 
と言う。私ははっと思い、そうやね、抱っこしてこっちで一緒に遊ぼうか?と、力を抱っこして連れてくると、
なんだかちょっと楽しそうになってきた。顔色もぱっと明るくなり。
そうだ、つい、旅中での力の体調管理ばかりに気を取られ、肝心の力を置き去りにしていた。
 
も一回夫と検討電話。すると、
「あのさあ、Nがね、ちーくん、外に出してみたらいいかもよ、いじけとーっちゃないと?て言いようけど。」
と言う。まさに、別の場所の同じタイミングで、力の姉たちは、同じように私たち大人に気付かせた。力の念か?
念にしろ何にしろ、こどもの感性というのは恐ろしいほどである。
私とRは午後、力を連れて買い物がてら30分ばかり散歩してみたが、その後はすっかり機嫌よし。
おねえたちの言うとおりと証明されたのだった。今回とても不思議で感動的なエピソードとなったのだった。
 
前置きが長くなったが、メインのラスト2日間のこと。
 
当初予定通り、最寄駅から私鉄に乗り、JR線に乗換えてTDRがある舞浜駅まで行く道程。
乗換駅が大変難儀な駅。関東管内私鉄・JR駅で最もバリアフリー化が進んでいない駅の一つと言われている。
この駅を避けることを考えたが、何度も乗換えるより、距離と時間を優先し、
駅員さんに手伝ってもらおう、と決めた。
 
合計でおそらく50キロくらいの大荷物を、大人2名、小学生のNとRで運ぶ。力が乗るバギーもある。
 
最寄駅は、大きな駅ではないが、駅舎内のエレベーター完備、問題なし。イメージ 1
難関乗換駅に到着。まずホームから上がるのにエスカレーターか階段しかない。
イメージ 2
 
エスカレーターの乗り口には、
体の不自由な方は、係員を呼んでください、
というメッセージが書いてある。
 
夫がボタンを押して、駅員と話すと、
「今は人が少ないし、空いてるでしょ?」
 
と言われて切られたらしい。
辛抱ない夫でなくともブチ切れ2秒前、だ。
 
バギーで無理やり乗って、登ったら、降り口に、
つじつま合わせのように2人駅員がのろのろと手伝いに来ていた。
もう登れたので大丈夫です。とスルーしたが、事故が起こっても仕方ない状況だ。
これらの駅員の教育を、早急にしてほしい。大問題な対応だと強く思った。
 
乗換えるJR駅まで徒歩で移動すると、イメージ 3
まずは切符買うまでに3段の短い階段があり、
(→写真はwikiより参照)
その後20段くらいを、階段のみでホームに降りる。
 
窓口の駅員さんに声掛けると、すぐに出てきてくれた。
「もう一人、要りますね。」
と2人がかりで、3段を登り切符を買い、20段を下った。
親切、という感じではないものの嫌な顔はされなかった。
階段だけ、という駅舎だ。そりゃね。
 
ここまでで、すっかり労力を使ってしまい、
おねえたちもぐったりだったが、とうとう舞浜駅に到着し、(舞浜駅バリアフリーは問題なし)
駅近くで大荷物を預けて身軽になってから入口ゲートから入場。
「多いね、めっちゃ多いやん。」
おねえたちは、うえええ、という顔。いやいや、そんな多くないって、大丈夫大丈夫、
と、ひとたび、ワールドバザールに入った瞬間、なんじゃこりゃあああ。めちゃくちゃ多いやんけ!
 
大きなクリスマスツリーがバザール十字路中心に既に飾りつけてあった。周りに、十重二十重にも人人人。
私たちは、平日だし、と、余裕かまして12時ごろ到着したのだが、全く見込み違いだ。何でこんなに多いのよ。
 
酸素ボンベカートを中央救護室に預けに行った。注入やもしかすると処置をしなけりゃなので、
ちょくちょく立ち寄るかも、と伝えると、小保健室のような処置室を一室、私たちのためにキープしてくれていた。
これが、今回のTDRを楽しめた、大きな一つの要因であった。
 
とりあえず、イメージ 4
園内を歩き始めたが、
だらだらしか歩けない。
 
入場した日は、
翌日祝日だが、
ハロウィンと、
クリスマスの境だ。 
月曜は振休や代休、
などが考えられるが、
火曜だ。何で?
修学旅行生らしき集団も
見当たらないのに。
 
おねえたち、この様子にショックを受け、
「もうお泊まりの所で
いい。もう
ディズニーランドで
遊ばんでいい。」
この喧騒に当てられ、
能面顔で言った。そんなああ。
 
なんとかなだめて、おねえたちが楽しみにしてた「ホーンテッドマンション」のファストパスを取った。16時20分。
列をみると、110分待ちだ。そうだろう、そうだろうね。。。
 
力が乗れるアトラクションは多くない。そのままぐるっと回って、「キャプテンEO」に行ってみた。
アシスタンスカードを提示したら、50分後に入場できるらしい。
それまでに、昼食をとることに。昼食も並んで並んで、やっとありついたら、おねえたちが少し元気になった。
 
イメージ 5「キャプテンEO」は、
マイケルジャクソンの1987年のアトラクション復刻版。私が学生時に来た時にあってたのだ。懐かしい!
 
力は3Dメガネはどうか、と思ったが、かけてみると、
最初はぼんやりとしていて、不思議そう。
戦闘シーンで音楽や画面が激しくなったら、
力はばたばたと騒ぎ始めた。楽しそうだ。
あまりに動き激しく、靴は片方どこかに飛んでいくは、メガネは顔からずり落ちるは。
すると、ピタッと動作がやんだ。
やっぱり、3Dで見えてるんだ。かけてやると、
また、騒ぎ始めた。結構楽しそう。入った甲斐あり。
 
イメージ 6
キャプテンEOを出ると、
すぐにパレード「ジュビレーション」が始まる時間。
力は、専用見学席を優先的に使える。
ギリギリの時間にスタッフの方に連れられ、
2列目に案内された。
そのスタッフの方から、人が多い訳は、
どうやら都内のお受験の振休らしい、
との情報を得た。そりゃ地方からは予測つかんな。
 
イメージ 8
 
 
 
 
目の前を、キャラクターが、音楽に合わせて踊りながら過ぎていく。
力はよく見て、楽しそうに身体を動かしていた。
パレードが最も楽しかったようだったので、
体力持てば、夜のパレードまで見ていこう、ということになった。
 
 
 
 
 
終わっても、こんなに上機嫌。
イメージ 7
一旦救護室に行って、注入の準備をした。
 
次に、「ジャングルクルーズ」にみんなで乗った。
スタッフが一人、丁寧にエスコートしてくれて、
船の一番前に座らせてくれた。
おねえたち、とても楽しそうだったが、
力は、何のことやら、という感じ。
 
その後は、女性陣3名のみで、最初に取った、
ホーンテッドマンション」に乗りに行き、
力は夫と、救護室で留守番。
ちなみに彼女ら的には最も面白くなかったらしい。
 
だんだん暗くなってきた中、
ウェスタンリバー鉄道」にみんなで。
ここでもまた、王様みたいにエスコートされて、
一番前の箱に乗せてもらった。
おねえたち的には、これがベスト、だったらしい。
 
すっかり暗くなった。夜のパレード前に、夕食を。
また並んで並んで、が嫌だったので、
比較的少ないパン屋さんに並び、軽食夕食とした。
 
夜のパレード直前に、おねえたちと夫で、パレード並びでちょっと人が少なくなっていた「カリブの海賊」に乗り、
力と私は待ち。
夜の「エレクトリカルパレード」もまた、力はよく見ていた。今度はじーっとよく見て、集中していた模様。
 
パレード終了して帰路。
救護室の酸素を取りに行って、TDRをあとにした。21時近い。8時間以上、園内にいたことになる。力すごい!
 
宿泊場までは、シャトルバスが出ている。
バス乗り場に行くと、係員の方が、こちらでお待ちください、と誘導してくれたので、
バギーをすぐにたためるよう、一生懸命に準備していたら、
到着したバスの運転手さんが、降りて、私たちのところに来た。
「あのーこれ、バギーで、車いすのようなもので、、、、」などと私がごちゃごちゃ言っているのを聞くことなく、
ガラガラガラとスロープを出してくれた。「さあ、どうぞ!バギーごとこちらへ!」
 
車いすスペースは既にあけて確保済み。乗るとささっと固定してくれて、快イメージ 10適に乗車。宿泊先に無事到着した。
プラスアルファでアップグレードしてもらうと何と最上階!
翌朝の眺望は晴れ!
 
羽田までホテル前からのリムジンバスを予約済。
予約時に力のことを伝えてると最前列を優先席として確保されていた。
満員だったので、前でよかった。
力は6歳以下乗車で夫の膝抱っこ。ぼちぼちな感じで乗っていた。
 
 
それにしても、TDRは、本当に楽しかった。リピート率9割以上、うなずける。
 
ただ一つ気になったのは、私たちが使わせてもらった「ゲストアシスタンスカード」を、
対象外なのでは?と思うような人が使っていたこと。
数年前は、待ち時間なしでアトラクションに優先入場できていたらしいこのカードは、
体の不自由な人が長時間並ぶことで起こりうる不慮の事故や体調不良をなくすため、のもの。
裏技的に使う人が続出し今のようにルール変更したらしい。
確かに障害者手帳の提示要請は私たちに関してはなかったので不正利用がないとは言い切れない。
せっかくの場で、ありがたいこのカードのシステムを、違う意図で使われてしまっているのかも、
と思うと、ちょっと悲しい。
 
しかし、これは置いといて、開業から長き期間、大勢の人に何度も足を運ばせるのは、
世界一といわれるTDRの高レベルのホスピタリィに負うところが大きい。
ただの一度も嫌な思いをしなかったのだ。王様みたいだった。
歓迎されている感を持てる場面は、実際のところ本当に少ない私たち。夢のような場所、とは全くその通りだ。
行く前はTDRへのやる気がなかった夫、「これはもう、リベンジやね。今度は2泊くらいして遊び倒そう!」と。
 
 
TDRはもちろん、バリアフリー探索道程、大変だったが、とても楽しかったのだ。
TDRを出て宿泊場までのシャトルバスに乗る際、スロープがあっという間に出てきたのを見てNが言った。
 
「やっぱ、こういうところやね。お母さんが前に言いよったように、施設とか装置があっても、
それを使いこなす人の問題ってことやね。
障害がある人がたくさん乗るけん、ディズニーランドの人たちみんな慣れとうし、
当たり前に、気持ちよく、何でも手伝ってくれるけん、
障害がある人も、その家族の人たちもたくさん来るっちゃろうね。Nたちも本当に気持ちよかったね。」
 
まさに、この度の旅を表す一言なり。
 
力の東京土産は以下。
イメージ 9