みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

初めての運動会(ウラ)

療育施設に通い始めて4年目にして初めて、力は運動会に参加できた。
初めてとは思えぬ、好調、ご機嫌にて。
 
今年は施設の都合で9月頭に開催された運動会。
今までのように、力の鬼門期間である秋の台風時期の開催でなかったことも、ひとつあるが、
今年の力が今までと大きく違い、
年初の手術で気管切開部分が改良され、呼吸状態が断然よくなったことが大きな要因だ。
それに伴ってか、けいれんも大幅に軽減し、嘔吐も、理由不明の呼吸不全も全くなくなった。
手術と入院は、いろんなトラブル続きで、本人や家族ともども辛くしんどい日々ではあったが、
こんな結果が待っていたのなら、今なら産みの苦しみだったんだ、と思える。
通園もままならなかった今までを考えると、大きなイベント事である運動会に参加することは、
力のキャパからすれば、身体的に少し高いハードルだった、ということだろう。
 
もうひとつ、今回の初参加は、母たる私のステップアップでもあったように思う。
 
力がこのように生まれてきたことに対して、出産直後はともかく、
かなり早い時期から受容し今に至ると自分では思っている。
でも、多くの、障害がある子たちや、その子たちを囲む大人たちの中にいることが、
とても居た堪れなくなることは、実際多かった。これは通園し始めてから特に顕著な状態だった。
考えずともいいことを考えてしまい、聞かなくてもいいことが聞こえてしまう。見えてしまう。
アンテナが不要に立ちすぎていることを自覚できても、それを下げることができない。
 
まだ通園しはじめてほどない頃、
保育の中で、異年齢の園児と大人がたくさんで集まって遊ぶ、という縦割り時間があった。
一刻も早くそこを逃げ出したくて仕方なかった。そう思っていることにも自己嫌悪でしょうがなかった。
 
力のお世話はハードで、園に行けばサポートしてくれる人たちはたくさんいても、
最初の数年間は、園にいる時間内に周りをゆったり考える余裕はとてもない。
なのに、不要にアンテナは立っているため、余計な労力を使いすぎて、しんどくて、どっさりと疲労していた。
ようやく昨年度後半くらいから慣れ、必要な時に必要な分だけが立つよう、徐々にコントロールできてきた。
 
これもまた、力の体調が落ち着いてきたからこそ、ではあるが、
運動会のようなイベントごとに前向きに向かえるようになった私も、一段上がったのかもしれない。
 
参加した当日は一人でいろいろやらねばならぬことが多く、やっぱり周りを見る余裕がなかったが、
帰宅して落ち着いてから、先生方や、娘たちが撮ってくれた写真を見てみると、
この運動会イベントが、とても暖かい雰囲気に包まれているのをあらためて感じた。
参加できてよかったなー、と、しみじみと思えた。
 
よく、じいさんばあさんが、「力が中心やけんね!」と言うが、
中心というよりは、力に添われて私たちが連れていかれていることを感じる、このごろだ。