みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

待ち、溜め上手に、なるべしなるべし

本日園はお休みした。
休みをぼちぼちとってね、という医師のアドバイスもあり、また、月に一度の訪問リハビリの日だから。
 
力は、昨夜、あのままテンション高く、消灯しても遊んでいた。
何時に寝たか定かでないが、
朝方私がふと目を覚ましてみてみると、
力の位置が大きく変わっており、しかもブランケットも何もかもひっちらかして、はだかんぼう状態だった。
朝方ひんやりだったのになあ。ひっちらかしは勘弁してくれようー。
 
夜遊びすれば当然ながら朝は起きられない。
便意でちょこっと起きて排泄し、その後また二度寝して昼過ぎまでぐっすり寝ていた。
 
午後に訪問リハビリの先生が来てくれたが、
その時ようやく目が覚めたか、というぼんやりモードではあったが、
先生がうまいことぼちぼちペースに乗せてくれて、何となく目が覚めてきた。
 
訪問リハビリの最もいいところは、自宅にて、自宅の雰囲気を先生にチェックしてもらったり、
生活のちょっとしたことを、アドバイスしてもらったりできること。
 
今年度から力を担当してくれる先生はまだ二度目だが、
通園施設のリハビリの先生とも事前に話してもらっており、双方で流れを踏まえつつお話しできる。
 
ようやく退院後の安静モードから通常モードに切り替わってきたくらいなので、
今までリハビリをどこまで積み重ねたか、私自身が何となく忘れてしまっていたが、
家での、少し前からの懸念事項として、
力が2歳になってすぐに作った座位保持装置が、今の力的にどうなのか、ということ。
 
安静モードと、おまるに多活用で、座位保持装置をあまり使っていなかった。
 
力を実際座らせ、先生に、パット位置などを確認してもらった。
力の今年の大きな目標として、ある程度座位を独立してできる状態になること、であるが、
座位保持装置も、おまるも、支えはほとんどが背中で、寝ている時に近いと言っていい。
前もたれで腕で支えながら座ったり、しっかり足をつく座位は、なかなか家で私がうまくやれてない。
 
ありがたいことに、力は、身体自体はぐんにゃりしているわけでも、こわばっているわけでもない。
これといったきっかけさえあれば、なんとなくできそうな気は、前々からしている。
この、きっかけ、なのだ。
 
イメージ 1昨年度に比べて、足裏をしっかり地につけることは、
あまり違和感なくなった力。
でも、まだ足で踏ん張ろうとはしない。
そこで、足で踏ん張れるよう、
座位保持装置の角度を急にするようにしてはどうか、
ということだった。
なるほど、これなら、足をしっかり踏ん張れるし、
ベルトで固定されているので、倒れたりせず安全だ。
 
 
イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
また、バンボ椅子とテーブルをつかって、
腕で前もたれしながら座ることも、
ぼちぼちやるといいし、
訪問看護師さんやヘルパーさんにも、
座らせて、絵本を読んだり、などと、
少しずつ、できるときに、やってもらうといいのでは、
とのアドバイス
 
 
 
 
 
しかし、あれもこれも、重要なのは、力のやる気や気持ちに負うところが、とても大きいと思う。
おねえたちと遊んだり、私と一緒に居たりするのは、多分とても楽しいのだと思うが、
もので遊びたい、と、興味を持ったり、何かを使って何かをしよう、と手を伸ばすということが、
ほとんどない力。
でも、反応がないわけでなく、楽しいこと、興味あることは、おそらく、かなりやる気はあるように見える。
 
力が自ら手を伸ばしたり、やろうと思ったりすること、を促すこと、というのは、
ずいぶん前から、医師他、いろんな方々から言われてきたことだ。
娘たちの育児時期は、この、促し、はほとんどいらず、まずは彼女らが興味を持った分野から、
自ら手を伸ばし、大人もたまに遊びに入っていき、一緒に遊びつつ、
だんだん彼女らの周りの外部の世界と関わりを広く持つようになっていった。
 
だから、そういわれて、そのことはわかってはいても、
なかなか自分の工夫だけではうまいこといかなかったところがジレンマだった。
 
大きな声で声掛けをして、オーバーアクションで、わかりやすく、というのが、
自分的には、力にかかわり、行動を促す、一番の方法だろう、と、思って今までやってきた。
 
しかし。
今日先生と話していて、目からウロコだった。
声掛けなどは全然OKだが、溜めの時間がない、と。
 
例えば、抱っこしよか!と言って、すぐに抱っこすると、
力にとって、何をしてもしなくても抱っこされるのだから、何らかの行動をすることが不必要になるということ。
これが万事で続くと、そりゃー、自分から何か、という力は、つかんよね。
 
なるほどねーーー。
そうそう、確かに、そうだな、と思い当たる節はたくさん。さっさとやってしまう母だ。
こんな、行動と行動のちょっとした中間部に気付き指摘されたのは、今までで初めてで、
まさに目からウロコな時間だった。
 
よくよく考えてみれば、この待ち、や、溜め、は、おねえたちの保育園でも、よく言われていたこと。
大人が先回りしたらいかん、待ちも限度はあるけど、ある程度の待ち、は必要だ、と。
おねえたちの時は、待ちはわかるが、そんならいつまで待つのが適なのだろう、限度はどこ?というところが、
いつもいつもの悩みだったが、
待ちの重要さ、は、力にも当てはまるってこと。
一見違いそうに見えても、力もおねえたちと一緒ってこと。
また、さらにひいてみれば、
手がほとんどかからなくなったおねえたちの、今、にも、当てはまる。
 
おおー、なるほどーーー。
 
力に関しては、今まで、体調急変や、呼吸状態の常時管理など、「時間との戦い」至上な部分が多かった。
力とのかかわりも、
保育的要素よりも、医療ケアに重心があり、何がともあれ、生命確保、だ。
でも、先日の、長くなってしまった入院時期に、
医療ケアばかりでは、力は、本当につまらんだろうなあ、としみじみ思ったばかりであった。
 
力が回復してきて、急変も痙攣もなく、吸引も少なく、ケアも少し楽になって、落ち着いてきたからこその、
この、目からうろこ。
 
今までもだが、ナイスタイミングでの、いろんな人との出会いや言葉は、
本当に本当に、ありがたい限りである。
 
 
待ちと溜め。
私も夫も含め、スピード命な現代社会人に、最も今、欠けていることかもしれない。
ちょこっとの「待ちや溜め」で、本当はもっと社会が円滑にいくのかもな。
 
待ち、溜め上手に、なるべし、なるべし!