みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

セイイッパイ、イキナサイ

二週続けてお子さんのお別れに立ち会うことになろうとは。

娘のクラスメート、みのりちゃん、が亡くなった。
会ったのは一昨年。私は私で、学校以外の母ちゃん友達を介してお母さんと知り合い、
娘は偶然にも転入してきた彼女と一緒のクラスになり、これまで3年連続で同じクラスである。
通夜、葬儀ともに、参列してきた。

かかりつけの病院も違うし、母同士でお互い、ゆっくり話せる状況ではない。
みのりちゃんの病気について、詳しく知っていたわけではない。
大変にシビアだということを除いては。

みのりちゃん、ついこの間まで、娘と一緒に授業を受け、遊び、笑ったり叱られたり、
ほとんど普通の生活だったが、
今年の夏ごろから体調が悪くなり、何度か手術した後、
ある日、自宅で危険な状態に陥って救急車で搬送された秋からは、介助なしの生活が難しくなった。
先月末に再入院し、意識が戻らぬまま、旅立ってしまったそうだ。

言葉は適当ではないかもしれないが、お母さんとはいわば、闘病仲間である。
とても気さくで美人で素敵なお母さんとは、情報交換をちょくちょくしていた。
でも、みのりちゃんの容体がシビアな状況になるにつれ、
メールを送る度に、
こんな書き方で、内容で、よかったのだろうか?と、思いつつ、であった。

先月末に入院した日に一度やり取りしたが、非常に厳しい状況でそれっきり連絡はとらなかった。
その後、少し落ち着いて眠り続けている、と間接的に聞いてはいたが、
2週間後、ひょいと連絡が来たので、
きっと、クリスマスも正月も、一緒に迎えられるよ、と返信した。
その数時間後に、亡くなったのだ。

なんという間の悪さだ。全く私は。。。
みのりちゃんのお母さんとのやり取りを思い出すと、後悔することばかりである。


力が0歳児時点のとてもしんどい状況の際、
私は何度もダークサイドに足を突っ込みそうな危なさを感じたことがあったが、
その都度、必ず、周りの誰かの手や、何らかのことが、持ち上げてくれた。
ふと顔を上げると、近すぎず、でも遠くもない、手が届く絶妙な位置に、
いつもたくさんの人がいてくれたことで、なんとかやってこれた。
こんな皆さんには、感謝してもしきれない。

だから、少しでも自分に余裕ができたら必ず、誰かのために、そうなりたい、と思っている。
でも、なかなかそううまくはできない。未熟であるがゆえ。思い知らされた。

うちでもよく話題に上っていたみのりちゃん。
頑張り屋でちょっとちゃっかり系で、みんなに好かれていた彼女が亡くなったことの不条理も含め、
うつうつと通夜、葬儀に参列した日は、当地この冬一番の寒波が来た日、最も寒い雪日であった。
たくさんのお友だちが参列していた通夜式で、
棺の中のみのりちゃんは、とてもきれいで、おだやかだった。
お父さんもお母さんも、涙は流してはいたが、静かに落ち着いた表情であった。

みのりちゃんは、解脱したんだなあ、とお顔を見て、思った。
お父さんもお母さんも。

寿命の長短はあっても、その中で精一杯過ごすことができれば、思い残すことはないのかもしれない。
みのりちゃんは、100%以上の力で、生きたことは、間違いない。
ご家族も、持てる力全部を使って走ってきたことも、同じく。

結局、いろいろと念を残すのは、残された者だけだ。
まだやり切っていないから。

セイイッパイ、イキナサイ。

いい大人がこうどんよりしていては、きっと、みのりちゃんに説教されるに違いない。



訃報を知ってすぐに力の登園の時間であった私は、出発する気力がかなり失せていたのだが、
気を取り直して車に乗った。
さあ、音楽でも聴いて切り替えよう。電源ONすると、最初に流れてきたのは「銀河鉄道999」。
聴いて車内で涙が出た。歌詞、あまりに、はまりすぎだ。

~さあ行くんだ、その顔をあげて 新しい風に 心を洗おう
古い夢は置いてゆくがいい 再び始まる ドラマのために