二週続けてお子さんのお別れに立ち会うことになろうとは。
娘のクラスメート、みのりちゃん、が亡くなった。
会ったのは一昨年。私は私で、学校以外の母ちゃん友達を介してお母さんと知り合い、
娘は偶然にも転入してきた彼女と一緒のクラスになり、これまで3年連続で同じクラスである。
通夜、葬儀ともに、参列してきた。
かかりつけの病院も違うし、母同士でお互い、ゆっくり話せる状況ではない。
みのりちゃんの病気について、詳しく知っていたわけではない。
大変にシビアだということを除いては。
みのりちゃん、ついこの間まで、娘と一緒に授業を受け、遊び、笑ったり叱られたり、
ほとんど普通の生活だったが、
今年の夏ごろから体調が悪くなり、何度か手術した後、
ある日、自宅で危険な状態に陥って救急車で搬送された秋からは、介助なしの生活が難しくなった。
先月末に再入院し、意識が戻らぬまま、旅立ってしまったそうだ。
言葉は適当ではないかもしれないが、お母さんとはいわば、闘病仲間である。
とても気さくで美人で素敵なお母さんとは、情報交換をちょくちょくしていた。
でも、みのりちゃんの容体がシビアな状況になるにつれ、
メールを送る度に、
こんな書き方で、内容で、よかったのだろうか?と、思いつつ、であった。
先月末に入院した日に一度やり取りしたが、非常に厳しい状況でそれっきり連絡はとらなかった。
その後、少し落ち着いて眠り続けている、と間接的に聞いてはいたが、
2週間後、ひょいと連絡が来たので、
きっと、クリスマスも正月も、一緒に迎えられるよ、と返信した。
その数時間後に、亡くなったのだ。
なんという間の悪さだ。全く私は。。。
みのりちゃんのお母さんとのやり取りを思い出すと、後悔することばかりである。
力が0歳児時点のとてもしんどい状況の際、
私は何度もダークサイドに足を突っ込みそうな危なさを感じたことがあったが、
その都度、必ず、周りの誰かの手や、何らかのことが、持ち上げてくれた。
ふと顔を上げると、近すぎず、でも遠くもない、手が届く絶妙な位置に、
いつもたくさんの人がいてくれたことで、なんとかやってこれた。
こんな皆さんには、感謝してもしきれない。
だから、少しでも自分に余裕ができたら必ず、誰かのために、そうなりたい、と思っている。
でも、なかなかそううまくはできない。未熟であるがゆえ。思い知らされた。
うちでもよく話題に上っていたみのりちゃん。
頑張り屋でちょっとちゃっかり系で、みんなに好かれていた彼女が亡くなったことの不条理も含め、
うつうつと通夜、葬儀に参列した日は、当地この冬一番の寒波が来た日、最も寒い雪日であった。
たくさんのお友だちが参列していた通夜式で、
棺の中のみのりちゃんは、とてもきれいで、おだやかだった。
お父さんもお母さんも、涙は流してはいたが、静かに落ち着いた表情であった。
みのりちゃんは、解脱したんだなあ、とお顔を見て、思った。
お父さんもお母さんも。
寿命の長短はあっても、その中で精一杯過ごすことができれば、思い残すことはないのかもしれない。
みのりちゃんは、100%以上の力で、生きたことは、間違いない。
ご家族も、持てる力全部を使って走ってきたことも、同じく。
結局、いろいろと念を残すのは、残された者だけだ。
まだやり切っていないから。
セイイッパイ、イキナサイ。
いい大人がこうどんよりしていては、きっと、みのりちゃんに説教されるに違いない。
訃報を知ってすぐに力の登園の時間であった私は、出発する気力がかなり失せていたのだが、
気を取り直して車に乗った。
さあ、音楽でも聴いて切り替えよう。電源ONすると、最初に流れてきたのは「銀河鉄道999」。
聴いて車内で涙が出た。歌詞、あまりに、はまりすぎだ。
~さあ行くんだ、その顔をあげて 新しい風に 心を洗おう
古い夢は置いてゆくがいい 再び始まる ドラマのために