みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

朝がまた来る

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どうなることやらと思っていたが、

「しんどいことは、必ず終わる。」

すでに私の座右の銘でもある。

今回の力不調時は、力がピーク時に、主たる看護者の私も風邪ピークを半歩程すぎた程度だったため、
大変しんどいものだった。

力が調子悪い時は、よっしゃああと気合いを入れて戦闘態勢になるのが常の私。
痰なんか、何百回でも吸引しちゃる!とギラギラ状態なのだが、
今回ばかりは弱々し。これでやり過ごせるのか、と、心配になっていた。
こんな時には家に大人が一人、というのは、不便この上なしだとも思ったが、
といっても、夫がいたところで、結局は私がほとんど力のお世話なのだから、
つまりはほとんど同じことだったのだろう。

力と違い、眠るの不可の私が風邪薬を飲むことも当然不可なので、葛根湯のみ、
しかも、葛根湯も切れてしまった週明け。外出もできないため、
家にあり、自己回復できそうな効きそうなものを、全てトライ。

・日本酒湿布(タオルに日本酒浸し、首にまく。のど痛には意外にきく。欠点は酒臭いこと)
・しょうが湯をアツアツで(寝る前に)
・温度と湿度を保つ(暖房と室内に洗濯もの干し)
・うるおいマスクをする(正月に夫が風邪ひきっぱなしだった時に購入していたのが残)
・靴下をはく
・滋養強壮剤(レオピンファイブ)を飲む

こんなもんじゃ既に風邪状態にはどうにもならないのだが、とりあえず気力だけは保つ。

おねえ達が不在だったため、食事が全く心配いらずだったことで、
そうこうしているうちに私自身8時間以上何も口にしていなかったことに気づいた。
いかん、自分は食べねばならん。夜中にスタミナ不足で貧血にでもなってはいかん、と、
力が眠った夜22時ごろからご飯を炊き、芋をふかし始め、手早くエネルギーになるものを準備。
それまで娘たちの菓子などを食べてやり過ごす。23時くらいから薄暗い中芋を食べる。
何とまあ物悲しい風景!

寝たと思っていたらやはり1時頃起きだし、それから4時過ぎまでずるずるぜいぜい言ってる。
芋食べてて正解。
でも、3時過ぎから、また、ムンク「叫び」の絵を思い浮かべていた。もうろう。

けいれんの心配がある今回については、実際、力にとって、眠るより、眠らない方がリスクが低い。
寝入りばなの呼吸不全が最も心配なので、うとうとしてきた時に必ず観察をしておかねばならない。
さすがに一晩中モニタも付けていたが、
センサーをつけている足を動かすとすぐに外れるので、しょっちゅう、つけ直しもしていた。
それでも朝方何もなく寝てくれて、何とか朝を迎えた。

でも、この一晩だけで、ピークを抜けた感じである。
やはり、ただの風邪だったのだろう。私のがうつったのだ。
しかし、ピークを脱するまでの期間が、本当に短くなった。シビア度も、浅くなった。
本当にありがたいことだ。

何もなく過ぎてしまえば、母にとってもこのボロボロな一日もまた、微笑ましいものに変わる。
突発入院の可能性もあったので、服のまま寝ようかと思っていたが、
すぐに着替えられるように準備していた服を着ずに過ごせてよかったよかった。

力に限らず、
小さな子どもを育てたことがあるお父さんお母さんは、
こんな、眠れぬ、もうろうとしつつ真夜中を過ごしたことある人、多々であろう。
髪ぼさぼさ、頭ぼんやりでも、必ず「朝がまた来る」

「しんどいことは、必ず終わる」

と思えば、何でも何とか、やれるもの。あとは笑ってGO!
母も早く全快せねば!