先日の入院中、ちょっとしたおもしろい?ことがあった。
かかりつけの病院では、不定期に看護学生が研修に来る。
二回の入院時共に、土日を除いた平日はずっと、たくさんの看護学生さんがいた。
看護学生さんは、単位取得と現場経験の為に来るのだが、
学生なので、患者に医療的手出しをすることは許されない。
いろいろな制約があるらしく、結局はほとんど、後ろで見てるだけ、の状態だ。
まじまじと見いるわけではないが、卵さんたちを観察するのは、結構おもしろい。
医学生も看護学生も、室内に入った瞬間の目配りで、
いけてるか否か(勿論見てくれではない)が判別できるように、思う。
ある朝、ベテラン看護師さんについて学生さんが一人やってきた。
ちょうど力の体拭きの時間だったので、お手伝いをしてくれた。
体拭きのちょっとしたお手伝いはギリギリOKなのだ。
ベテラン看護師さんは力がまだ手術する前の0歳児時からの知り合いなので、心置きなし。
「力くんのこれは気管切開ね、そして、これは胃ろう。せっかくだから見せてもらい。」
などと言い、学生さんに促していた。
力は、いろいろとあるので、学生さんにはきっと参考度高いと思うし、また、知ってほしいと思う。
学生さんは、曖昧な間合いではあったがちらりと見て、お手伝いを続けてくれた。
力が眠ってしまったので、私は束の間のお休み時間、椅子に座って本を読んでいた。
すると、先ほどの学生さんが、おそうじに来ました、と入室してきたので、お願いします、と言った。
いけてる、と思う人には、私から声掛けることが多い。
でも、そうではないかも、と思った人には、できるだけニュートラルに対応することにしている。
私はそのまま、本を読み続けていた。
すると、いきなり、
「ひまでしょう?」
と言われた。
ひま?暇ってこと?
「えーっと、今は暇ですねえ。確かに。でも、起きていれば、やること多いからですねえ。」
などと、答えた。
力の看護は一般的には、多分、結構やることが多い方だと思っている。
実際、暇だと思う一瞬でさえも、力を授かってから今まで一度もないんだけどなあ。
暇でしょう?などと、初めて言われたぞ。。。
いや、確かに本は読んでいるが。。。
でも、いやまてよ、普通一般的に、入院付添の母親に、暇でしょう、はないよなあ、
暇、ってことは、心身ともに、ないよなあ、などと、ぐるぐる一人で考えていた。
すると、また、
「入院は何回目かですか?」
ときた。
「いやあ、何回目っていうか、何十回目、って感じです。。。」
と答えると、黙って行ってしまった。
彼女のいなくなった病室で、いろいろと考えた。今の会話って、看護師の卵として、どうなのよ?
まだ十代であろう彼女、きっと、何か話さないかん、と、思いついた社交辞令を発したのだろう。
にしてもだ。
その後数人の人に、
「これって、どう???」
と尋ねてみたが、まあ大体同じような感覚を持つ人たちの意見は大体同じである。
この「暇でしょう?」エピソードを考えていた時、そういえば、と1年ほど前のできごとを思い出した。
とある場所に力を連れて行った時のこと。
力のことを知って応援してくれる人たち何人かと、力のバギーのまわりで談笑していた。
そこに、ある若い女性記者(=面識なし)が入ってきて、言った。
記者:赤ちゃんですねー、何歳ですかー、わーちっちゃーい。
ハハ:あー、ちっちゃいんですけどね、もう2歳なんですよ。
記者:えーなんでー?あ、これ(気管切開を指差し)何ですか?
ハハ:あ、これ、気管切開っていって、ここから息しているんですよ。
記者:へー、すごーい。これって、一生こうなんですかあー?
ハハ:いや、一生かどうかは、医師でもわからないところなんですけどね。
記者:へー、そうなんですかあー。
去って行った。
周りにいた皆さんは力の状況を把握している方ばかりだったので、何とも言えない空気になっており、
それに対して、かえって私の方が申し訳ない気がしたものだ。
彼女のこの会話パターンは、彼女なりの取材テクの一つなのかもしれない。
もしかすると故意悪意なのでは?と思わずにはいられないほどだった。
それほど、やばい個所が多くないか?二重下線を引きたいくらいだ。
記者という職業って、こんな感覚で成り立つのだろうか。
仕事イメージからのギャップを強く感じたが、意外にそんなもんなのかもしれないなあ、とも思った。
後から聞くと、新人だが記事は上手に書けるらしい、とのことであった。
どちらも若い、まだ職業人としては駆け出しである。
その職に対して、技術は高いのかもしれない。
でも、基本的な社会人としての感性はどうなのだろう?鍛錬すれば修正できるのだろうか?
感性違い、と言ってはそれまでだが、
彼女ら、少なくとも1人の感情には、良いとは言えない波風を立てている。