みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

感性違い

先日の入院中、ちょっとしたおもしろい?ことがあった。

かかりつけの病院では、不定期に看護学生が研修に来る。
二回の入院時共に、土日を除いた平日はずっと、たくさんの看護学生さんがいた。

看護学生さんは、単位取得と現場経験の為に来るのだが、
学生なので、患者に医療的手出しをすることは許されない。
いろいろな制約があるらしく、結局はほとんど、後ろで見てるだけ、の状態だ。

まじまじと見いるわけではないが、卵さんたちを観察するのは、結構おもしろい。
医学生看護学生も、室内に入った瞬間の目配りで、
いけてるか否か(勿論見てくれではない)が判別できるように、思う。

ある朝、ベテラン看護師さんについて学生さんが一人やってきた。
ちょうど力の体拭きの時間だったので、お手伝いをしてくれた。
体拭きのちょっとしたお手伝いはギリギリOKなのだ。

ベテラン看護師さんは力がまだ手術する前の0歳児時からの知り合いなので、心置きなし。
「力くんのこれは気管切開ね、そして、これは胃ろう。せっかくだから見せてもらい。」
などと言い、学生さんに促していた。
力は、いろいろとあるので、学生さんにはきっと参考度高いと思うし、また、知ってほしいと思う。
学生さんは、曖昧な間合いではあったがちらりと見て、お手伝いを続けてくれた。

力が眠ってしまったので、私は束の間のお休み時間、椅子に座って本を読んでいた。
すると、先ほどの学生さんが、おそうじに来ました、と入室してきたので、お願いします、と言った。

いけてる、と思う人には、私から声掛けることが多い。
でも、そうではないかも、と思った人には、できるだけニュートラルに対応することにしている。
私はそのまま、本を読み続けていた。

すると、いきなり、
「ひまでしょう?」
と言われた。

ひま?暇ってこと?

「えーっと、今は暇ですねえ。確かに。でも、起きていれば、やること多いからですねえ。」
などと、答えた。

力の看護は一般的には、多分、結構やることが多い方だと思っている。
実際、暇だと思う一瞬でさえも、力を授かってから今まで一度もないんだけどなあ。
暇でしょう?などと、初めて言われたぞ。。。
いや、確かに本は読んでいるが。。。
でも、いやまてよ、普通一般的に、入院付添の母親に、暇でしょう、はないよなあ、
暇、ってことは、心身ともに、ないよなあ、などと、ぐるぐる一人で考えていた。

すると、また、
「入院は何回目かですか?」
ときた。

「いやあ、何回目っていうか、何十回目、って感じです。。。」
と答えると、黙って行ってしまった。

彼女のいなくなった病室で、いろいろと考えた。今の会話って、看護師の卵として、どうなのよ?
まだ十代であろう彼女、きっと、何か話さないかん、と、思いついた社交辞令を発したのだろう。
にしてもだ。

その後数人の人に、
「これって、どう???」
と尋ねてみたが、まあ大体同じような感覚を持つ人たちの意見は大体同じである。


この「暇でしょう?」エピソードを考えていた時、そういえば、と1年ほど前のできごとを思い出した。


とある場所に力を連れて行った時のこと。
力のことを知って応援してくれる人たち何人かと、力のバギーのまわりで談笑していた。
そこに、ある若い女性記者(=面識なし)が入ってきて、言った。

記者:赤ちゃんですねー、何歳ですかー、わーちっちゃーい。
ハハ:あー、ちっちゃいんですけどね、もう2歳なんですよ。
記者:えーなんでー?あ、これ(気管切開を指差し)何ですか?
ハハ:あ、これ、気管切開っていって、ここから息しているんですよ。
記者:へー、すごーい。これって、一生こうなんですかあー?
ハハ:いや、一生かどうかは、医師でもわからないところなんですけどね。
記者:へー、そうなんですかあー。

去って行った。

周りにいた皆さんは力の状況を把握している方ばかりだったので、何とも言えない空気になっており、
それに対して、かえって私の方が申し訳ない気がしたものだ。


彼女のこの会話パターンは、彼女なりの取材テクの一つなのかもしれない。
もしかすると故意悪意なのでは?と思わずにはいられないほどだった。
それほど、やばい個所が多くないか?二重下線を引きたいくらいだ。

記者という職業って、こんな感覚で成り立つのだろうか。
仕事イメージからのギャップを強く感じたが、意外にそんなもんなのかもしれないなあ、とも思った。
後から聞くと、新人だが記事は上手に書けるらしい、とのことであった。


どちらも若い、まだ職業人としては駆け出しである。
その職に対して、技術は高いのかもしれない。
でも、基本的な社会人としての感性はどうなのだろう?鍛錬すれば修正できるのだろうか?

感性違い、と言ってはそれまでだが、
彼女ら、少なくとも1人の感情には、良いとは言えない波風を立てている。