北京パラリンピックが開幕し、開会式を一部見た。
先に開催された五輪と同様、とてもよかったと思う。
力を授かり、障害者、というくくりものに対して、
以前よりも目が向くようになったし身近に感じられるようになったことは、
私たち家族にとってとてもよかったことだと思っている。
特に娘たちは子ども時分からの感覚。きっとこれからの彼女らにとっても貴重なことだろう。
身近になってからよく感じるのは、
障害者がマスメディア上に出るようなことに対しての、
いろんな立ち位置の人たちがそれぞれ違ったように感じるであろう「違和感」。
力がそうだと言われている「トリーチャーコリンズ症候群」は、5万人に1人という珍しい症例であるが、
力が生まれた当時、何か情報を、と、必死になってweb検索してすぐに見つけたのは、
海外の、何度もマスメディアに取り上げられている女の子だった。
彼女は顔の奇形がかなり重度なので、最初に写真を見た時はびっくりしたが、
それでも元気で生きているということに、勇気をもらったものだ。
でも、彼女の両親については、web上でも賛否両論であった。
否、曰く、「障害がある子どもを使った売名行為だ」と。
同じ親として、一生懸命育てていることには変わりないのでは、と、個人的には思っているのだが、
本当のところどうなのかは、わかるすべなし。
どちらにせよ、こんな両論は、いやな気分にさせられる。
先日放送された24時間テレビは、一部しか見なかったが、
障害がある人たちを何人か、特集組のタレントと一緒の企画ものとして紹介してあったらしい。
企画意図は、お涙ちょうだい、なのだろう。
私だって例にたがわず、涙なしでは見ることができないのだが、
こんなお涙ちょうだい企画に対して売名行為だ、と言う人はいるんだろうな、などとも思ってしまった。
私も現に、力のことを新聞連載やブログ展開して、
売名、とは直接言われないまでも、子どもがかわいそう、などとの意見をもらったこともある。
だから、きっと、パラリンピックも、そんな目で見る人たちは、結構いるだろう。
開、閉会式については特に、メディアに乗せる側としてはそんな要素もあるだろうから。
でも、競技は別である。編集ものでも企画ものでもない「リアル」。
代表選手になれる人たちは、障害者の中でもまた、特別な部類に入るかもしれないが、
それでも心身の葛藤を乗り越え、前向きに努力し、限界に挑戦している人たちだというのに変わりない。
障害があってもこれだけやれる。その、インパクトと言ったら五輪以上だと思う。
足を無くした女性選手ががんがん泳いでいる姿を見て、子どもたち、尊敬の目をして釘付けだ。
特定時期だけの企画ものも、もちろんありだろうが、
4年に一度の貴重な選手たちの姿が見られるパラリンピックを、もっとたくさん放送してほしい。
お涙ちょうだいでも売名でもない、リアルな姿から、
障害も一つの個性なんだ、と感じることができる人が増えるだろうから。
がんばれニッポン!