みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

ライフ・ライフ・バランス

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昨日は通園日だった。また朝、嘔吐があり、少し遅刻してしまった。
最近は夜ちゃんと寝てくれるので、深夜の注入は寝たまま、さらに、朝も寝たまま注入開始するので、
2回分、寝たままの状態で、食事だけが胃に入ってくる。
胃の動きも休んでいるだろうから、吐きにつながるのではないか、と思っているが、
逆流かもしれんしなあ。
最近は吐きの量は多くないし、嘔吐時の苦悶の表情も軽いし、
吐いてしまった後はすっかりすっきりになるので、また吐いたー、と、やや慣れた感。

リハビリにも遅れてしまってはじめてもらったが、何とか泣かずに時間が終わり、
その後、保育活動として、運動会時に飾る旗を、母子共同で作った。
あらかじめ先生が準備してくれていた子どもの上半身輪郭が書いてある画用紙に、
力が絵の具を手でぺたぺたしてTシャツの色付けをして、私が力の似顔絵をかいて完了。
私は絵が大の苦手なので、ひええ、であったが、
力は豪快にぺたぺたして、なかなかおもしろい旗になった。

その後食事になった。
先日の通園時、力の食事の様子を録画されていたのだが、
それを見たセンターの常勤医師から、しばらく経口練習を中止してみては、と提案があっていた。

力は事前にそのことを、リハビリの先生と私が話しているのを聞いて、わかっていたかのように、
最初から、いつもとは全く違った食事時間の表情。
ご機嫌で、他のお友達をのんびり見まわして、余裕かましてやがる。

胃からの食事ペーストの注入はそのまま継続となったので、
給食のお盆はきているのだが、それを見てもへへーんとばかり。

リハビリも経口練習も、自分の苦手は大嫌いな力である。まったくもうねえ。

その後、医師から話があった。
力の食事の録画を見る限り、のみこんでいるとは言い難い、嘔吐もあるので、
誤嚥などのリスクとの優先順位を考えると、
今経口練習が適時だとはいえないのでは、とのことだった。

確かに、練習しても、進展はほとんどなし。
私がやるときなどは、遊びが入ってしまう。やる気なし。

今まで誤嚥で肺炎などのトラブルがあった、ということはないが、
のみ込めたとしても、間違って入ってしまって、げほげほと咳きこんでしまう、ことがほとんどだった。

それでも続けていたのは、
食べることをすっかりやめてしまうと、食べる機能がかなり低下してしまう、
と、医師やいろんな医療従事者の人たちから、言われていたから。

でもセンターの医師からは、
食べる練習をしなくても、ある時期がくれば、ちゃんと食べることができる、とのことだった。

何が真かはわからないが、
実際の力の状態を見ての提案、というのには、やはり意味があるのだろうと思いたい。
力を含め、いろんな障害がある人たちにとって、
トライアンドエラーは覚悟の上で、いろんなことを選択していかねばならないから。

食事に関して、一歩後退、というイメージを母が持ってしまうのでは?
というフォローだと思うが、
看護師さんやリハビリの先生、保育士さんたち、
医師と私のやり取りの最中も、周りで見守り、いろいろと声掛けをしてくれていた。
後からお友達のお母さんたちに、
「力くん、なんかあったと?」
などと、心配してもらったほどだ。


吐くなら注入量を減らす→栄養の確保はどうする?
食べて誤嚥しそうだから、食べるのをやめる→将来食べることができるのか?
しんどそうだから、外出を控え寝かせておく→ずっと家の中で寝たきりでいいのか?

こんないろいろは、いつも、せめぎあっているところ。
いろんな人たちの意見やアドバイスをいただく。
自分も、力を見て、考える。
家族の状態や周辺環境も考慮せねばならない。

1+1=2、と、算数のように一つの答えは出ない。
全てにおいて、バランスをどこかでとりながら、最もいいポイントの飛び石に移っている毎日であると、
昨日はいろいろと考えさせられた。

経口練習がなくなって、力も私も楽になったなあと思う反面、
母はちょっとへこんだ気分だったことも、正直なところ。


ちまたでは、「ワーク・ライフ・バランス」という言葉が、言われるようになってきた。

「命」も、「生活」も、どちらも英訳すれば「ライフ」

力も、ひいていえば、私も、

「ライフ・ライフ・バランス」な毎日である。