一見普通に見える人間が、こうも簡単に、自分と同じ人間を次々に刺せるのか。
今日は歩行者天国の日だと、友人が教えてくれた。1973年に歩行者天国が初めて実施された日。
ホコ天という言葉を聞けば、わが世代は、沖田浩之(亡)はじめ竹の子族のイメージがいまだに強いが、
今ではアキバこと秋葉原が、最も有名なのかもしれない。
逮捕された容疑者は、神戸の酒鬼薔薇と同じ年だとか、事件が池田小児童殺傷と同日だとか、
いろんなことに関連付けて報道されているが、
容疑者が携帯サイトに、当事件について実況書き込みしていたことを、今一番大きく扱っているようだ。
普通の目立たない男性が犯行に及んだ心の闇は?、と、
検証する番組トピックスが事件後1週間ほどヒートアップするが、
そのどれも、
容疑者が昔書いた絵だとか、今回の様にネットに書き込んだ文言などで、
いわば勝手にプロファイリングされ、視聴者受けがいいように編集されている感じが否めない。
この事件を受けて閣僚会議では、
ネットの書き込みの監視を強化して、未然に事件を防ぐシステムを検討したい、
とのニュースが出ていた。
ある程度の抑止力はあるだろうし、このご時世では、書き込み等の監視は必要なことだろう。
でも、はっきりいって、犯行を未然に防ぐ効果はかなり微妙な線だ。
個人的には、このニュースを読んで、???だった。
こんな、事件の報道を見ていて、思った。
もし自分がこれから後に、何か過ちを犯したとする。
すると、きっと、それまで書いていたブログ記事は、
私の心の闇を解き明かすために、勝手に解析されてしまうのだろう。
不肖私も、このブログを開設して数年経った。
実際書いていて思うことは、
「他人が読むことを想定されたもの」に、
真の悩みや、心の闇を、文字にする人がどれだけいるのだろうか、ということ。
文字にすることができるのは、深い悩みには一歩届かないレベルでしかないのではないだろうか。
本当の辛さや苦しみを、簡単に書けるわけがない。
この容疑者のように、
現時点で言われているような「コンプレックス」や「不満」からの犯行ならば特に、
自分を特定されにくいであろう書き込みだって、ある人格を「装い」ながら書いているに違いない。
ネットへの書き込みを含めて、他人の目に触れるような表面に現れることは、
そのまま文字通り取れることは、ない。
本当の闇は、毎日毎日の、口に出すことも、文字にすることもない、
ちょっとした事の積み重ねから少しずつ広がるもの。
多分誰でも、持ちえる闇だと思う。
闇から救ってくれるのは、どうやったって、自分以外の人の力、でしかない。
人間関係の希薄さに拍車をかける社会への流れこそ、最も監視すべきシステムだ。