みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

誰にでも伝わることばで

友人が先日、小学校の授業参観に行ったそうだ。
彼女の子どもは小学一年生。下のお姉ちゃんRと一緒に卒園した仲間。

彼女は職業が小学校教師なので、母としての目と、教師としての目で、
小学校や教師をかなり鋭く観察しており、その見解はとてもおもしろく参考になる。


参観の授業は算数だったそうだ。以下は彼女のブログ記事を抜粋転載(本人了承済)。

☆☆☆(以下は友人の記事の転載です)☆☆☆

授業参観があったので、行ってきた。算数の授業で、単元は「いくつといくつ」

授業時間は45分、30分以上すぎたころだろうか、
先生:「5つのおはじきがあるよ。どんなわけ方があるかな?
     おはじきを使って、いろんなわけ方をつくってみよう」

子どもたちは、手元の5つのおはじきを分けながら、そのわけ方をノートに書いていた。

先生「さあ、発表してもらいます」

子どもたち、元気よく ハイ!ハイ!と手が挙がった。

Aちゃん「2(に)と3(さん)」です。
Bちゃん「1(いち)と4(よん)」です。

先生「他にないですか~」

子どもたち  し~ん

だんだん、終わりの時間もせまってきた。
でも、子どもたちはし~ん

先生だんだん焦ってきた。

でも、子どもたちはし~ん
私はだまって見ていたが、
「先生~それじゃあ、わかんないよ~」
と内心思っていた。

だって、5の分け方って
「1と4」
「2と3」

それしかないでしょう。

先生は、みんなにその逆も言ってほしいようだった。
つまり、
「1と4」
「4と1」
「2と3」
「3と2」
これが回答だ。

でも、出るわけないじゃ~ん。
質問の仕方が悪いよ!!
と思っていたら、
先生「ちがう言い方はありませんか」
という、質問にかえた。

これに、すかさず反応したのがうちのちび子(※注:彼女の娘)
「はい!!」
元気よく手を挙げた。
先生ちょっとほっとして、ちび子をさした。
「はい、し(4)です」

先生「は???」

私はわが子ながら、偉い!!と思ったのに・・・・
先生は確かに「ちがう言い方」と言いました。
うちの子は、他の子が4のことをよん、と言ったので、
違う言い方がある数字は4だけだと「し」と言ったのに・・・・・
まったく、そのことには触れずに、無視されてしまった。

そしてだ。
苦し紛れに先生、質問の言い方をかえた。
「どんなとり方がありますか?」

そして、その言葉に素直に反応した、ちび子と同じ保育園だったNくん。
「はい!!」
元気よく手を挙げた。
もう授業時間の45分は過ぎようとしていた。
先生はすかさず、Nくんをさした。

「わしづかみです。」

私は座布団100枚あげようかと思った!!
Nくん、どんなとり方、という質問を聞いて、
今までのとり方では違うんだ!そうだ、とり方とり方・・・・・・・と
思いついたとり方だったのでしょう。

が、しかし・・・・・
時間も心も余裕がなくなっている先生、
笑いもせず、「ああ、そう・・・・・・」

Nくんは静かに座った。

これが、このクラスの現実か~っと悲しくなった。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

この記事を読んで、もうそれはそれは、大大爆笑させてもらった。
ちなみに、NくんもRと保育園同窓生、父母も同じく友人である。

ひとしきり笑った後、いやーこれは根深いぞ、と、いろいろと考えてしまった。


この記事を読んだあと、ためしに、と、うちのおねえたちに、同じ問題について尋ねてみた。

「おはじきが5個あります。2人で分けるとしたら、いろんな分け方があるよね?」

3年生の上のおねえNは、答えたくてうずうずしていたが、制止。
1年生問題だからRに答えさせる。

R:あのね、1と4やろ、あとね、2と3。
母:そうそう正解です!ほかにはあるかな?
R:うーん、あのね、右と左と反対でもいいと?
(R、おはじきがないので、手指を使って考えていた。)
母:うん、いいよ。2人違うもんね。
R:あのね、それならね、1と4やろ、2と3やろ、4と1やろ、3と2。
母:大正解!両手を使って考えるの、いいやり方でできたね!
R:うん!かんたんやもん!
N:まだあるよー、5と0と、0と5。
母:そうそう。それもあるね。でもまだ1年生の最初は0のこと習わんやったやろ。
N:そうやった。そうやった。

そんなやり取りの後で、上記の参観のことをおねえたちに話した。
おもしろいと思わん?と。

すると、おねえ達、2人ともきょとんとしていた。
「え?何が?だって、その先生、何て答えてほしいのか、わからんもん。」

やっぱり、ことばが届いていないのだ。

保護者が来る参観で、この担任の先生は、自分の思った通りの展開にならなかった焦りや緊張からか、
上記記事のようなことになったのだろう。普段通りの心の余裕があれば、きっと、
「し(4)」にも、「わしづかみ」にも、
先生の枠を超えて、笑っちゃったりするのでは、と推察する。
でも緊張で笑えなかったのなら、それはそれでいい。

問題は、小学校教師たるもの、
自らのターゲットである小学生への質問の文言がこれでいいのか?ということ。

小さな子どもと話す際、ことばの大事さ、難しさを思い知らされることが多い。
多くのことは、難しく言うことの方が簡単だ。
大人は、なまじ、ことばや知識があるもんだから、
誰にでもちゃんと同じように伝わるように話をする能力を磨くことを忘れがちだ。
「簡単に子どもにもわかるように」話すことの難しさったらない。

子どもは真を突く才能をもともと持っているので、
おとなのそんな曖昧さやいい加減さを、がつーんと指摘する。
(私もいつも、やられている)

ある別の友人が、何でも質問してくる時期の子どもに対して、
いつも辞書を引き引き、答えている、という話を聞いたことがある。
感心した。

なかなかそこまでできる人は多くはないだろうが、
その心意気は、参考にせねばならないと思う。

この授業参観の風景は、いい例だ。
子どもは大人を見て育つ。

「誰にでも伝わることばで話していますか?」