みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

「いい子ぶり」は本質か教育か

下のお姉ちゃんRが、就学前の大イベントである園の二泊三日の冬合宿に参加し、
このほど、無事に怪我もなく帰宅してきた。

うちは子ども3人いるが、その中の一人いなくてもかなり寂しい。
特に我が家のムードメーカーのR。
ささやかながら、携帯待受画面にRの顔アップを限定3日間設定しておいた。

上のお姉ちゃんには一日だけ羽根伸ばし日を、と、
出発した当日の夕方、寿司とテレビ三昧で過ごして、ご満悦だったようだ。
力も、どうもいつもと違うぞ、とは思っていたようだった。


まあそんなことはさておき。

5歳児でこんな寒い中、
他人のお宅で、親もいない二泊三日は結構ハードだと推察する。
きっと私はできなかっただろうと思う。
お姉ちゃんたち、クリアできて偉いよなあ、と単純に感心している。

担任の先生にRの合宿中の様子を聞いてみた。
すると、
ある活動中、困ったことがあったのにそのことが言えずに、
「お母さんがいい~。」
と泣いてしまったらしい。

Rに後から聞くと、いっぺんも泣かんかった、
と言い張っていた。

担任の先生からは、
Rには、困ったら言っていいんだよ、という雰囲気や環境を、
作ってやるといいですね、と言われた。

また、新しいことに挑戦したり、
やってみよう、うまくなってみたい、
という気持ちがあるのに、
失敗が怖くて、そんな気持ちを出せずに引いてしまうことがあるので、
失敗してもいいんだよ、やってみていいんだよ、
と思わせてあげられれば、ということを言われた。

これは、上のお姉ちゃんの時も同じ種類の課題だった。

「失敗したらどうしよう。」
「かっこわるいところ、みんなに見せたない。」

こんな気持ちを乗り越えて、

「自分をさらけ出して、向かっていける勇気や力」

を子どもたちがつけることができるように、が、この園の最終的な保育目標だ。

まさに、これって、人間の理想系。
こんなん、めちゃくちゃ、かっこええやん。


R(やお姉ちゃんのN)がなかなか向かえるようにならないのは、
やっぱり、お母さんなどに、
かっこわるいところ見せられない、と思う気持ちが強いのでは?
と言われた。(運動会前にも同じように言われた。)
親が過剰な期待をかけていたり、
できなきゃダメよ、と、強要していたりしていませんか?
と暗につきつけられたような、気がした。

自分ではそんなつもりはないんだが、そうなのかもしれない。
力のこともあり、
もしかして、暗にいろいろ強要しているのかも、
とか、考えてしまった。

でも一方で、
自分の子ども時代を振り返ったとき、
まったく自分もそうだったのよね、と思い当たる。
両親はかなり放任だったので、
こうしなさいああしなさい、とうるさく言われたり、
他人と比較されて嫌な思いをした、などは一度もなかったのに。

子どもなりに、
お父さんやお母さんの喜ぶ顔が見たい、
と努力したことがたくさんあったような気がするんだよなあ。
しかも、努力現場はできるだけ見られないようにこっそりと。

大人になった今でも、基本路線は、全く変わってない。
だから、
「自分をさらけ出して向かっていく」、
なんて、全然できてないよ。母ちゃんは。
父ちゃんは、もっと典型的かもやな。

だから、お姉ちゃんたちのこんな葛藤は、理解できる気はしている。血かもしれない。


いいとこ見せたい。
怒られたくない。
失敗したくない。

これは、ほとんどの人間の本質じゃないのだろうか。
それが、どう出るか、どう出してやるか、
が、教育、ということになるんだろうが、
とどのつまり、殻を破るのは、やっぱり、自分だけだ、という気がしているのも、
今まで経験してきた、人生のちょっとセンパイとしてのホンネ。(開き直り。。)


でも、こんな、立ち止まって考えるきっかけ、は、
とても大事だなあ、と思った。
改めて誰かに言ってもらわないと、深く考えずに流してしまう。

こんなことも、親サイドの、冬合宿の成果だ。
私たち親世代より子どもたちが理想系に近づいてくれるように、じたばたと努力しなきゃ!