みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

置き去りの親は?

今日は通園日。
2連続遅刻してるので、今日こそ間にあうように、と急いで行ったが、
ぎりぎりだった。
夫がいなくなれば、通園日はもっとハードになる。
頑張らんとねー。

今日のメニューはオイルマッサージだった。
先生の説明のあと、まずは親同士でやってみましょう、
と、
プチアロマテラピー講習会。

マッサージは気持ちいい。

私は、先生から片手を、
ペアのお母さんからもう一方の手をやってもらい、
お姫様状態で、ぜいたくな時間だった。

先生からは、手のマッサージだけで、
「あらー、硬い!ストレスと疲れがたまってるんですねえ。
やっぱ睡眠不足やもんねえ。三人の育児もあるし。」
といわれた。

そう、
仕事もしていないのに、
最近も肩がこって仕方がない。
毎日ほとんどの時間、
後ろから矢が飛んできても、よけられそうな程、
野生動物の母状態が継続しているからに違いない。


力のグループは6人だが、
今日は一人お休みで5人。
親子通園では、99%母親が付き添う。

あるお母さんが、
家で働ければなあ、と、話した。

力のように、いろいろあったり、
発達の遅れなどがある子どもさんがいれば、
ほとんどの場合、
母親が仕事を辞めたり、
今までの生活を制限されたりすることになるのが現状だ。

障害や病気の子どものケアは、
親にとって最も大事なことであることは間違いない。
子どもたちの生活のケアや、
いろんな医療ケアは、
充分でないまでも、
そこそこ、形にはなっている。

自立のための支援も、
こんな言葉があるくらい、
まあまあ一般的だ。

でも、親としての当事者になってみると、
親や兄弟児などの、
家族のケアは、
すっかり忘れられているような気がしてならない。

期待して受身で待っているだけでは、何も改善しないに決まっている、と、
自分がまずは自立できる方法を模索中だったので、
とてもタイムリーな話だった。

一人のお母さんは、
いろんなところに散々折衝して、
保育園で保育してもらえる可能性が出てきたと言っていた。
是非職場に復帰したい、という、
こんなお母さんたちの強い意志が、
いろんな世の中の不備を、
少しずつ変えていくのではないかと思い、
私も頑張ろう!と改めて思った時間だった。


通園時間が終わって、
夫の転勤に伴うリスクである、
もし自分に何かがあった場合の力の預かり先、
についての相談を、
コーディネーターさんと話す時間を持ってもらった。

ずーっと前から同じことの繰り返しだが、
かいつまむと、
やはり、1歳台ではかなり難しいらしい。

「命のリスクを誰が負うか」

このことに尽きる。

誰も、何も、他人の子どものことを背負えないのだ。

3歳くらいになり、少し安定してくれば、
一時保育やショートステイの受入は、
かなり緩やかになる、という。

でも、本当に必要なのは、
親以外でのケアが難しい、低年齢の子どもを、
どうすればいいか、ということ。

医療も福祉も、病院も施設も、
本当に行き詰っていると感じる。
必要な人に必要なサービスを。
基本的な福祉理念は、成り立っていない。
みんな、正規でないイレギュラーな道を使い、
どうにかこうにかやりくりしているようだ。

「自己責任」
と押し付けられているような気がした。

昼食時の話といい、午後のコーディネーターさんとの話といい、
親(特に母親)はずーっと頑張るのが当たり前とされるこの現実。


親は置き去りになっている。