みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

24.ブログの力に助けられる

イメージ 1

「みんなのチカラに」連載第24回目が掲載されました。
http://www.nishinippon.co.jp/medical/2007/04/post_305.php

能登地震や選挙などで、すっかりご無沙汰してしまいました。
最近久々にお会いした方に、
「連載、あれ、いつ終わった?」
と言われてしまいました。

次回が最終回ですが、来週末にまた選挙があるので、
大きな事件事故など何もなければ、
4/30、連休中の掲載になります。番外編も書いております。
是非最後までお付き合いよろしくお願いします。


みんなのチカラに<24>ブログの力に助けられる

 力(ちから)が生まれてすぐにインターネット上の日記であるブログを立ち上げた。

 出産直後の救急車搬送、染色体異常の判明と、次々に突きつけられる現実。ナマの状況と心境をしっかり残しておかねば、と、いてもたってもいられなかった。

 力の染色体異常の症例について、当時、親の会や個人サイトをウェブ上で見つけることができなかった。それなら、どこかに必ずいる誰かを呼び寄せよう、そして情報収集できれば、という目的も大きかった。少しずつアクセス数が増え、ある日、同じ診断を受けた子のお母さんがきてくれた。親の会の情報も寄せられ、目的は達せられた。

 そのうち力は手術などの予想もしなかった事態に陥った。ブログは医師に何と言われ、処置は何をどんなタイミングで行ったか、などを全神経を集中して詳細に覚え、不明な点は調べて更新する、という記録作業となった。

 グチが徐々に社会や制度批判へと変わったのもこのころ。でも、シビアな内容ばかりじゃ自分も重くてきつい。趣味モノや雑記も書いて気分転換。お姉ちゃんたちとの会話やエピソードは残すことができて良かったことの1つだ。

 その後、ありがたいことに力は退院した。以降は日記として、諸問題や事柄について、おおかた気軽に記事更新して今に至る。

 果てしない長期の看護や介護を続ける人たち。「死にたいと思ったことがあるか?」と聞かれて、「イエス」とは言わないまでも、「ノー」と自信を持って答えられない人は実際多いと思う。一生懸命頑張っている人ほど、精神的に追い詰められ、行き場がなくなる。ある友人は障害のあるわが子と治療の日々を過ごすうちに、死のうと思ったことがあると言っていた。一見、快活な彼女。ギャップに驚き、深く考えさせられた。

 私も力が生まれてから、いつでもどんと構えられたわけじゃない。毎日のブログの記事更新は、発散の場の1つでもあった。気楽に書き、誰かに読んでもらっていることで、力のことを、必要以上に重く受け止めることがなくなった。見ず知らずの人たちのコメントからたくさん元気をもらい、書き残すことで、ぼんやりと考えていたことも輪郭を持った。

 何よりありがたかったのは記事を読み、何かを感じ取ったらすぐさま連絡してくれる周りのみんなの声かけや手助けだ。力のいすやおもちゃを譲ってくれたり、お姉ちゃんたちを預かってくれたり、こんな時はこうすればいいよ、とアドバイスしてくれたり。

 バーチャルのみの世界はしがらみがなくていいのかもしれない。でも、私はインターネットの力を介したリアルな世界にいつも助けられ、後押ししてもらっている。今ではブログは、みんなに私たちを監視してもらう意味も持つと自覚している。

 私たちが闇にのみこまれないための抑止力ともいえる。