みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

⑲「挽回チーム」は親も一員

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「みんなのチカラに」連載第19回目が掲載されました。
http://www.nishinippon.co.jp/medical/2007/02/post_257.php

病院アレルギーが無い人、ってほとんどいないのでは?と思います。
うちは、今でこそ、「慣れ」たため、
以前ほどのストレスを感じなくなっただけで。

力のように、リスクが高い場合、
あ、これ聞いておかないとな、
と思うことや、
あれ、これなんで?
と思うことを、ま、いいか、とやりすごしてしまった時に、
必ずといっていいほど、
トラブルや、アクシデントが起こっていました。

自分達にも、問題があった、ってことにも、反省。

お世話になっている主治医は、
大変お話しやすい方で、
何かちょっとしたことでも、
すぐに相談できる、という安心感に支えられています。

また、入院中の力の担当看護師さんも、
初対面の時こそ、あまりの迫力にたじたじとなりはしたものの、
とても頼りなる方で、
半年間の入院生活の私たちの精神的ストレスを、随分負担してくれました。

医師も看護師も患者も、
みんなでひとつのチーム。
リーダーシップは、
主治医が発揮するべきとは思いますが、
だからといって、階級は必要なし。
誰が偉いのでもなし。

そうでないと、
世の中のほとんどの上手くいってない事柄と同様、
理想的な回復は見込めなかっただろうな、と実感しました。


みんなのチカラに<19>「挽回チーム」は親も一員

 昨年8月。「力(ちから)の一歳の誕生日を家で迎えられたらいいなあと思ってるんですが」

 入院して半年。いろんな方面にひずみが出てきた。夫方のおじいちゃん、おばあちゃんは疲れから付き添いがしんどそうになってきた。どうにか頑張っていたお姉ちゃんたちにもわがままが出始めた。

 「帰れるように頑張りましょう。大丈夫です!」と外科担当医は受けてくれた。こんな医師の前向きな言葉に、患者は本当に勇気づけられる。

 ありがたいことに、健康な身体を親からもらった。病院にはほとんど縁がない。子どもが生まれて、小児科にお世話になることが増えたが、親なら誰もが通る道だ。

 3人目の力にして初めて、病院や医師、看護師などの医療スタッフとお付き合いすることになり、最初は勝手が分からないことめじろ押し。右往左往するばかりであった。

 ほとんどの人が、病院というと構えてしまい、医師に対して必要以上にかしこまったりしていないだろうか? 私たちはそうだった。

 医師が話す言葉に「?」と思っても、すぐさま質問できない。診察や検査結果に専門用語が出てきても、つい分かったふりをしてしまう。「こんなこと質問したらアホと思われるんじゃないか? そんなこと聞くなよ、と嫌な顔をされるんじゃないか?」と余計な気遣いをして。

 夫も私も仕事では人と接することが多い。人と話すことが苦手なわけではないのだ。でもなぜか病院では聞けない、言えない。

 多くの診療科にかからねばならない力のような患者にとって、それぞれの科やスタッフ同士の連携不足による対応に疑問を持ったことは一度や二度ではない。いろんなことがあり、「任せっ放しはダメだ」「子どもを守るのは私たちしかいない」と思った時から意を決して、少しでも疑問があれば尋ねることにした。

 パワーは必要だった。でも「万が一」が人的ミスなら後悔してもしきれない。子どもの命を守るための緊張感は親として持って当然だ。最近になってようやく、病院アレルギーも、疑心暗鬼も少なくなってきた。これも、主治医のほか、かかわってくれたスタッフの皆さんのおかげだ。

 患者にとっていい医師、看護師の条件はコミュニケーション能力だと実感する。知識や技術だけではない。「医療スタッフと患者の関係について、どちらが強者でどちらが弱者なのか、やってあげているのか、やらせてもらっているのか、診てもらっているのか、診せてやっているのか、本当はそんなことじゃなく横一線であるべきなのでは」と、看護師の妻がいる友人は言う。言い得ていると思う。

 私たち親も「力を挽(ばん)回(かい)させるプロジェクトチーム」の一員だ。目標ははっきりしている。同じ方向に向かって、力を合わせてそれぞれがやるべきことをやる。家族や仕事、世の中のことすべてが、そうであるように。