みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

万が一の備え

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週末から天気がぐずついているため、
家の中はどこもかしこも洗濯物だらけ。
今日、ちょいと晴れ間がのぞいたので、
いさんで外に干した。
昼、力といないいないばあと遊ぶのに夢中になっていたら、外が白い。
気づくと大降り。
洗濯物さらに倍。

週末のぶっ倒れ寸前の教訓から、
今日は、いつもいろいろと相談に乗ってくれる訪問看護師さんと、
先日お世話になった療育センターに、
もし万が一、私に何かあった時や、病気になった時に、
力を一時的にでも面倒みてもらえる場はあるのかどうかを、聞いてみた。

最初に訪問看護師さんへ。
ショートステイだと思うが、詳細は調べてみる、ということだった。
午後、来てくれた担当看護師さんから、
調べた資料などを郵送してくれる、ということづけを受け取った。
すぐ調べてくれたようだ。
いまお世話になっている訪問看護ステーションには、
本当にいつも迅速な対応をしてもらっている。ありがたいことだ。

さて次に電話した療育センターの相談の方。
先日初めて行ったこの施設。
当方のことはカルテ?かなんかがあったと思われる。
当日話していただいた担当さんに伝えて折り返す、
ということだった。
相談したことを忘れてしまっていた頃の夕方遅くに電話あり。
先日みてもらった担当医師と相談の上、
子どもさんの症状に合った対応ができる施設を紹介することになる、
ということだった。
でも、担当医があと一週間は来ないので、
すぐは難しい、とのことだった。

一般的に、ショートステイとして受け入れてくれる施設はあるそうだ。
ただ、
事前にカルテを作っていなければ、ならないらしい。

もし、例えば、今日とか明日にぶっ倒れてしまったら、
どうすればいいのでしょうか?
率直な疑問をぶつけてみた。

無理だ、とは言われなかったが、かなり難しそうな口ぶり。

実際みんな、どうしているんだろう?
うちは、現時点では、今私がいなくなったとしても、
短期間なら、夫が少しはやれるだろう。勤務のことはまた別問題として。
じいさんばあさんも、お手伝いはできると思う。
でも、これからずっとそうであるとは限らない。

退院する直前や、ふとした時に、
「もし、私がいなくなったり、
何らかの理由で看る事ができなくなった場合、力はどうなる?」
と何度か考えた事がある。
そのたびに、誰かに質問したが、明確な答えを返してくれる人はいなかった。
尋ねた人が詳しくなかったのかもしれないが、
こんなことって、とても大事な気がする。

毎日のことは、毎日やっているから、どうにかなる。
でも、
力みたいに、ケアが必要な子どもについては、
最低限押さえておかねばならないのは、
非常時・緊急時のことではないだろうか。

8月の退院時に、「救急隊の方へ」と書かれた紙をもらった。
救急車を呼んだ時の申し送り事項を書いたものだ。
これは、まさに「お守り」だ。
うちでは、電話のところに貼りつけている。
これがあることで、きっと、その時に動揺せずに対応できるだろう、とイメージがわく。

すぐに命のリスクがある気管切開についても、
耳鼻科医から、緊急時の対応について、
いわゆる「緊急セット」を枕元に必ず置いておくように、などの指南を、
何度も受けていたので、家に帰ってすぐに実行できたし、心構えができる。
何かあったら、きっと、パニクるなんて生易しいもんじゃないだろうが、
イメージがあるだけでも、かなり違うと思う。

天災もそうだが、
何かあるときは、大体、万が一、というくらいの確率だと思う。
でも、可能性は、ゼロではない。

このときにいかに冷静に、うまいこと切り抜けられるかは、
そのときのど根性以外には、事前の入念な準備しかないだろう。

療育センターの係の方は、
現時点で、うちが、かなり切羽詰った状態はないと判断して、
そんな緊急時の提案や情報をお知らせしなかったのだろう、
と、言われていた。
でも、緊急時や、万が一のことは、
どんな状況の誰にでも起こりうるのではないだろうか?

施設が充実していないから情報が少ないのか、
または、人の意識が、充分でないのか、
どっちかはわからんが、
福祉サービスをうまく受けることは、
とっても難しいことなんだなあ、と実感した日であった。