みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

⑧どんでん返しがあるとは

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「みんなのチカラに」連載第8回目が掲載されました。
http://www.nishinippon.co.jp/medical/2006/10/post_201.php

腸切除のことを聞いた時、
「これは、夢だ、現実じゃない。」
今自分が立って、話を聞いていること自体が、
一瞬のうちに幻覚になった感覚。
究極の現実逃避状態でした。

夫が手術場に行き、誰もいない待合室に一人残された私は、
膝がガクガクするのを両手で押さえながら、
どうしよう、どうしよう、どうしよう、と、
混乱し、どうしようもなくなって、
現在医師の学生時代からの友人に、
夜遅くにもかかわらず電話をしていました。

彼女は、落ち着いて話を聞き、
とても、ニュートラルに対応してくれて、
それで、少し落ち着くことができました。
真っ先に思い浮かんだ彼女。
持つべきものは友、とよく言うけれど、まさに。

夫が手術場から帰ってきて、
見てきたことを話してくれました。
そして、手術が終わるのを待つ間、
二人で、かなりシビアに、いろいろと話しました。

一通り話しをして、二人で無言で待っていた時、
夫はふと、待合室の外に行ったと思うと、
慟哭していました。

私はそれを聞きながら、
改めて、
なんて取り返しのつかないことになったのだろう、
と、
手術後からの医師の言葉、力の顔、私たちの対応を、
繰り返し繰り返し反芻していました。

ドラマでよくある場面。
挿管騒ぎのところでも思ったのですが、
まさに、これは現実なんだ、と。


みんなのチカラに<8>どんでん返しがあるとは

 手術から4日たった週明け。力(ちから)の顔色がますますさえない。腸が動いていない、熱が続くなど良い状況ではないので、朝から検査が続いた。

 超音波検査では腸の形状がアンバランスになっていることだけが分かった。内臓の手術をすると、腸の捻転(ねんてん)や閉塞(へいそく)などがよくあるらしい。検査中に血便が出た。朝の血液検査で赤血球値が異常に低下していたこともあり、輸血することになった。

 午後の回診は執刀したベテラン外科医も診てくれた。夕方、外科医が言った。「血液の炎症反応がかなり上がっていることが気になるんです。明日まで様子を見るつもりだったけど、おなかを開けて確認させてもらえませんか?」

 原因不明は気持ち悪かったし、明日は祝日だ。お願いした。夜8時から、緊急手術となった。

 夫が駆け付けた。すぐに外科医の術前説明。「腸で出血の可能性があり、原因究明のための試験開腹です。捻転などの不具合があれば治す、もしくは一部切除するかもしれません。1メートルも切ると問題だが、そんなことはないと思っています」

 腸を一部切除してつなぐ、ということになれば2時間程度の手術になるらしい。何かあれば、途中で説明するので待機するように言われた。

 1時間ほどたって外科医が現れた。「小腸の大部分がねじれて変色していました。切除すると残りは50センチ程度になります。場合によっては点滴がずっと取れない状態になるかもしれません」。力の小腸は150センチ。3分の2を切除されることになる。

 絶句した。

 夫が手術場で確認することになった。一人残され、体温が急に下がっていくのが分かった。座っていてもひざがガクガクした。夫が戻ってきた。「真っ黒やった。正常なところは少ししかなかった」

 待っている間、夫と話した。「週末に兆候はあったはず。どうしてこんなことに?」。手術が終わって出てきた。力は何事もなかったかのように眠っていた。

 執刀医から説明があった。力は生まれながらの異常で、小腸が内臓の腹膜にくっついておらず、胃の手術をしたことで、小腸がぐるんと回ってねじれ、広範囲にわたって壊死(えし)してしまったのだそうだ。

 使えるのは上部40センチと、大腸側の5センチ程度。あと25センチが微妙な状態だったので、回復を期待して切らずに残した、とのこと。小腸は半分程度あれば機能はどうにかなるらしい。でも、力の場合、正常な小腸は約3分の1。数カ月から数年は点滴で栄養を取らねばならないそうだ。また、敗血症、臓器不全の恐れがあり、2、3日がヤマとのことだった。

 術後、集中治療室(ICU)のモニターに映る力を確認して帰宅した。午前3時半すぎだった。まさかこんなどんでん返しがあるとは…。

 私たちは絶対あきらめんよ。力の生命力に懸けるしかない。がんばって。

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【写真】力が入院した病院の通路。付き添いの私たちは何度も往復した