先日、ばあさんが手伝いと留守番にやってきた。
その時の話。
「やっぱ、力はね、あんたのために、生まれてきたと思うよ。
力がこんな風に生まれてきたけん、
あんたは、仕事も辞めないかんで、予定外やったかもしれんけど、
力が元気に生まれてきとったら、
あんた、もっと忙しく仕事するつもりやったろ?
絶対、また倒れとうって。次は、命にかかわっとうかもしれん。
よかったとよ、これで。力が、あんたにブレーキかけにきたと、私は思うよ。」
こんなことを言っていた。
確かに妊娠中から私は、お腹の子どもが産まれた後は、全速力でつっぱしっちゃる!と、
エンジンばんばんふかしている状態であった。
二つの国家資格の勉強もしていたが、
力が生まれてから、これからの計画変更を余儀なくされた。
勤めも当分できない。
とりあえず、試験勉強も一旦やめることにして教材を全て売った。
「力はにがりよ。」
とばあさんは言った。
なんと!
私も、力が生まれてから、今の状況をよく「にがり」になぞらえてたんだよな。
昔何度も読んだ短編集、「日本婦道記/山本周五郎」の中の「不断草」の一節。
-「ちょうど豆腐をかためるようにです」
良人の声でそう云うのが聞えた。
「豆を碾(ひ)いてながしただけでは、ただどろどろした渾沌(こんとん)たる豆汁です、
つかみようがありません、
しかしそこへにがりをおとすと豆腐になる精分だけが寄り集まる、
はっきりとかたちをつくるのです、
豆腐となるべき物とそうでない物とがはっきり別れるのです」-
「にがり」を入れることにより、はっきりとわかれる。
自分の今の状況にとてもよく当てはまる。
大事なものは何か?やるべきことは何だ?
くっきりはっきりである。
そして、人心も。
力が生まれて、実際、自分の行動は制限されている。
でも逆に、解き放たれた、という感じがあることが不思議だ。
今まで、選択肢がありすぎて「やらねばならん。」が多すぎたんだろう。
「厄年に生まれた男の子は一生母親を助ける」
というが、力は私の厄年生まれの男の子。
きっと、一生、私を助けてくれることだろう。