みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

ばあさん、戦力になる

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(写真はまだ入院中の時のもの)


今日は夕方から保育園のクラス会の予定。
18時から2時間なので、力は連れていかんとなあ、
と思っていた。
18時からということは、
19時注入は保育園でしなければならないし、
吸引機も持参して、適宜サクションもしなければならない。
園のクラス会は、ほとんどの家庭が参加し、
各クラスのお部屋で行うので、手狭になる。
力と寝かせる布団と、吸引機と、注入の用意などを考えると、
事前シミュレーションでもかなり悩ましかった。

でも、先週末、ばあさんが手伝いに来てくれたときに、
来週、クラス会連れてく予定やけど、
ばあさんが注入覚えてくれたら、力を置いていけて楽なんやけど。
と相談すると、快諾してくれた。
すぐに説明して、ばあさん、必死にメモを取っていた。
さらに、来週のために、と、自発的に、何度か注入をしてくれた。

私はとても意外だったのだが、
じいさんばあさん、
痰取りサクションもすぐに覚えて、病院でも実践してくれたので、
付添いも頼みやすく助かっていた。
退院した後も、1時間ほどであれば、力を任せられる状況。
ばあさんは今回、注入も覚えてくれたので、
何時間かの外出が可能になる。
実際、今日は3時間強、力と上のお姉ちゃんの面倒をみてもらった。

実は、ばあさんとは、下のお姉ちゃんを出産した直後に、
いろんな理由で疎遠になり、
それから数年間、私はほとんど誰の手も借りずに、
一人で育児家事と仕事学業をどうにかやってきた。
今改めて考えると、ようやった、と思えるほど、
心身ともに毎日ギリギリの綱渡り状態だった。

修復不可能と思っていたが、
やはり、こどものためには、と、
妥協し、目をつぶらねばならないことはある、
と思いなおすきっかけがあり、
それから、だんだん歩み寄れることができ、今に至る。
今でも当時のつらい状況は、絶対忘れはしない、と思うが、
力が生まれてのから事を考えると、
やはり、実の父母。ありがたい存在であると再認識した。
自分の娘が産んだこども(=力)が、こんな状態になり、
複雑な思いはたくさんあるだろうが、
無理せず、一生懸命やってくれている。
何より、哀れみなく、本心からかわいがってくれているのがわかるので、
こちらはうれしい。

早い時期にお互いいろいろと学習したので、
これから、少しはその経験が役に立つだろう。

ちょっとコアな話。