みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

②ボクハ、イキルヨ!

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「みんなのチカラに」連載第二回が掲載されました。
http://www.nishinippon.co.jp/medical/2006/09/post_170.php

連載第二回目のエピソードは生後すぐの話ですが、
ブログ内では、かなり後になって書いたものです。
当時、ポリバケツの夢を文字にするのが恐ろしくて書けなかった、というのが理由です。

力が数度の手術を乗り越えてようやく落ち着いてきた頃、
力のプライマリー看護師さんから、
「力君が生まれて、いろいろわかった時の気持ちを、よかったら聞かせて。」
と言われました。
看護師さんとしては、
患者の母の気持ちが知りたい、
看護に生かしていきたい、
という気持ちからの言葉でした。

その時、すぐに、ポリバケツの夢の話が頭に思い浮かび、
遅まきながら「母のホンネ」としてブログに記事を更新しました。

後日、これを読んだ看護師さんから、
「ごめんね。残酷なことを言ってしまったね。書かせてしまって。」
と謝られてしまいました。

いえいえ、いつかは書かねば、と思っていたこと。
きっかけを与えてくれた看護師さんには、
感謝感謝でした。

読んで驚いたのは、夫。
「あんな夢みたと?知らんかった。」

って、ちゃんと、夫には夢見たすぐ後に話していました。
こんなこと、黙っててはダメだ、と。
でも、夫は当時の状況がいっぱいいっぱいで、
人の話なんか、聞いちゃいない。
全く覚えてないとのこと。相変わらず。
そういえば、話した後、あまりに夫の反応が鈍いので、
「?」と思ったことを思い出しました。

今でも覚えている、
保育器の力の背中を起こした時の感覚。
「この子絶対大丈夫」と思わせてくれた、
かよわき身体ながら、力強い意思を伝えてくれた、あの感覚は、
まさに、力のこれから以降に発揮するチカラの一つだったんだろうなあ。


みんなのチカラに<2>「ボクハ、イキルヨ!」

 力(ちから)が生まれて、その日のうちに別の病院へ救急車で運ばれていった時、夫はもう力に会えないのでは、と泣いていた。私はそんなことがあるはずない、と楽観していた。

 何に関しても悲観主義の夫。こんなとき、いつも私は夫の気持ちを持ち上げる役目だ。男はホント弱いよなあ。夫が産院から家に帰って行った後、産後の疲れもあって、その日は熟睡した。

 翌日、力と面会し、医師から奇形や心臓の穴の話を聞いた時はさすがに気落ちした。何でこんなことに。これが夢ならいいのに。3人産もうと思った私の選択は間違いだったのか? まさか、こんなくじを引いてしまうなんて、とさえ思った。

 この時点では症状の程度も何も、医師でも明確に分からない状態だった。産院に帰ってから1人になって考えた。

 4月から保育園に通えるかな? 顔や身体がどれだけ他の子と違うんやろ? おじいちゃん、おばあちゃんをはじめ、親せきたちはどう思うかな? 心臓の手術でお金がめちゃくちゃかかったりとか? 私の描いていたこれからの計画と未来はどうなるの?

 こんなことばかりが頭をぐるぐる回っていた。力には関係のない、偏見と自分の都合ばかり。何て自己本位なヤツだろう。

 その日の夜。生まれたての力を抱っこしていた私は無表情で「この子いらない」と青いプラスチックのバケツのフタを開け、ぽい、と捨てた。恐ろしい夢を見た。

 すぐに目が覚めて、冷や汗が出た。「力のこと、本当にいらない、と思っているんじゃないのか? 本当はいらないと思っているのに、そうじゃない、と無理に思おうとして、心の奥の本音が夢になって出てきたんじゃないのか?」

 そんなこと、あるわけない、そう思いながらも自問自答で混乱して眠れなかった。こんな感覚って、周りの人のヘルプがないと、そのまま闇の世界へ引きずり込まれていくに違いない。

 次の日、また力の病院へ出かけた。看護師さんが、保育器に手を入れて触っていいですよ、と言ってくれたので、初めて力の背中を支えて身体を起こしてあげた。触れた瞬間、「この子は、大丈夫。絶対に大丈夫!」と確信した。

 後から考えると、きっと混乱していた私に、力が伝えてくれたんだ。

 『ボクハ、イキルヨ!』

 力は、私たちがどうにかして生きさせてあげなければ! 挽回(ばんかい)させてやらねば!

 面会から帰ってきて、心配していた夫の父に力のことを話した。「力を今日触りましたが、大丈夫だと確信しました。死んだりとかは絶対にありません。大丈夫です」。そう言うと、「あなたがそう感じたのなら、そうなのかもしれん。母親の感覚なんだから。大丈夫かもしれんなあ」と言われたことを覚えている。

 この日、私は真に力の母親になったんだろうと思う。

    ×    ×

【写真説明】保育器に手を入れて、初めて力の背中を起こした。「この子は大丈夫だ」と確信した