みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

長屋生活

入院して半年だ。
季節は真冬から春になり、暑い夏を過ぎて秋になろうとしている。
去年の今頃は、早く産まれないかなと、大きなお腹で汗だくになって一生懸命歩いていた。
それからもう一年か。早いのか遅いのか。
十年分くらいのいろんな思いが凝縮されたこの一年だった。

春先にこの病棟に来てすぐに怒涛の展開、
その後、カニューレ外れ騒ぎがあったりで、
落ち着く暇無し。
あの頃は、会う人会う人、何か顔がシャープになりましたね、
綺麗になりましたね、と珍しく言われていた。
綺麗はお世辞としても、違うのだ。
ずっと戦闘体勢だったってこと。ギラギラしていたに違いない。

でも、四度目の手術がうまくいってから以降は、
妙なトラブルもなく、ようやくいろいろと周りを見回す余裕が出てきた。
見回すと、病院て、とても興味深いところだ。

入院は基本的にはある程度大きい子ども以外は、
保護者が二十四時間付添いになる。
付添い者は、入室したらすぐに簡易ベッドと寝具を自分で借りに行く。
このベッドときたら!マジで「簡易」でしかない。
一泊二泊ならまだしも、これ長期だと身体を壊すに違いないぞ。
さらに、レンタル代も日数分取られるので、
長期になることが予想されていたうちは、寝具を持ち込みすることにした。
でも病室の床に布団はしんどかったので、
すぐに折りたたみのベッドも購入して持ち込んだ。
予想以上に長期になったので、費用対効果も含め、
ソファにもなるこのベッドは大活躍。

患者の看護には、毎日交代で一人の看護師さんがついてくれる。
毎日の担当さんと別に、
入院時の看護計画から、付添い者のケアまで、
総合的にお世話してくれるプライマリーと呼ばれる看護師さんが一人つく。

力のいる病棟は外科・整形・眼科の患者さんが主体。
早い人は二泊位で入れ替わるが、
長い人はうちみたいな数ヶ月入院、
それも、何度も入院を経験している常連さんも数多い。

うちは症状が重いためずっと個室系なので、
実際の大部屋の雰囲気はよくわからない。
でも外からや話からうかがい知ることはできる。
常連さんや長期入院の、いわゆる先輩達、大部屋でいろんな苦労をしている。

大部屋は四床だが、大人もそれぞれ一人ずつ寝泊りするので、合計八人。
付添いベッドを広げると、
看護師さんが処置するスペースもぎりぎり。
間仕切りはカーテンだけの空間は、
中に一人でもモラルを守れない人がいると、
すぐに険悪なムードになるそうだ。
看護だけでもストレスなのに、さらに輪をかけて、という状況。
共用で使うシャワー室やコインランドリーも同様。
円滑に回るように病棟ルールはあるのだが、
悪気なく又は故意の行為で、ギクャクだ。

でも、こんな不思議な特殊な生活、
慣れてくると、同じ境遇の仲間意識が生まれ、
だんだん声かけや、助け合いも生まれることは確かだ。
カーテン間仕切りなので、プライベートはあってないようなもん。
隣でシビアな症状説明があっていても聞かない振りをする、
お母さんが風呂に行ってる間の赤ちゃんを見ておいてあげる、
雨が降ってきたら、洗濯物の取り込みの声がかかる。
まるで「長屋」だ。

通常の生活ではなくなくなりつつあるこんな交流は、
病院ならではなのかも。まさに、困った時はお互い様ってことだ。

病室から一歩外に出れば、
通路は病院ならではの公道。
装具をつけてリハビリするボク、
車椅子で歯を食いしばって動く練習をする女の子、
点滴が嫌で大泣きしている赤ちゃんを抱っこして汗だくであやしてるお母さん。
彼らの後姿にエールを送らずにはいられない。逆に元気をもらっている。
  
こんな長屋状態の毎日を過ごすことができるも、
力が生まれたからこその経験だ。