みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

中田ヒデ引退

昨朝のNHK朝7時のニュースでも、各紙朝刊でも、引退報道はトップ扱いだった。
他にニュースがなかったとは言え、
一サッカー選手の引退がヘッドラインなのは、すごいことやと思った。
後からゆっくり新聞に目を通した。
20代での一般的には早い引退に、
好意的なもの、批判的なもの、各紙それぞれの色があって面白かった。

中田は、サッカー見るとしてもW杯くらい、と言うレベルの人でも知っている唯一の選手だろう。
うちのお姉ちゃん達でさえ、テレビで試合をみているとき、
遠目のカメラアングル画面でも、中田ヒデだけは判別していた。
「中田がでとらんけん、負けたっちゃない?」
というほどだ。

中田ファンの夫の影響もあり、
中田公式サイトnakata netを、開設以来、時々見に行っていた。
ファンとは言えないレベルだが、
初めてサッカー選手として本格的に海外で活躍したパイオニアを、
やっぱり応援して、注目していた。
やめたのは、私にも大ニュース。

引退報道の元になったhide's mailは、
ニュースに気づいた時にはもう既に、直接アクセス不能になっており、
新聞記事にて読んだ。

読んでみて、ちょっと涙出そうだった。

学生時代に、お遊びと見られるようなサークルレベルのテニスでも、
自分なりに一生懸命取組んだ。
最後の年は、キャプテンまでやらせてもらった。
何ヶ月も前から、毎日が最後のトーナメントと団体戦に向けての日々だった気がする。
(学生なら勉強しろよ!)
かなりテンパっていた。
霊感があると言われていた先輩に、
「お前、何か今、○×(サークルの名前)そのものになっとうよ。」
と言われたほどだ。
結局、最大の目標だった団体戦は取れずに、
個人戦、しかもシングルスだけで優勝してしまった。
取れる戦力だったのに。
みんなと勝利を分かち合えずに、悔いが残った。やり直したかった。
なんじゃそりゃ、自分だけやんか、と、空虚だった。

自分の中での事前のイメージでは、問題は決勝だけだったが、
そこまでもいかずに終わった。
試合当日のちょっとしたイレギュラーないくつかの出来事が原因だったと思っている。
何事も計画通りにはいかん、実力どおりにもいかん。
チーム競技は難しいなあ、とその時思った。
自分と同じだけ、勝ちに向かえる気持ちと、
それを出せる力がみんなにあったらよかったのに、
と勝手に思ってしまっていた。
でも、本当の原因は、自分が勝負に徹し切れなかったからなんだ。
全員が笑える道を求めたために、かえってみんなを落胆させてしまった。
これがチーム競技。もっと違うやり方でいけばよかったんかな。自分は不適格だったんじゃないか。
今でもたまに思い出す。

こんな素人の素人の素人レベルでさえ、
当時、自分的にはすごい葛藤とプレッシャーの中で過ごしていた。
hide's mailを読んで、
レベルは雲泥の差以上だが、
少し重ねてしまった。

スポーツに限らず、いろんな局面を背負ってきた人には、
きっと共感できるのでは、と思う。
責任を負って戦うことの重さは、
その立場に立った人にしか解らない。

http://www.nakata.net/