みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

どっきどきの一年生(親編)

この春から、一番上の子が就学する私達みたいな親も、一年生だ。
今どきの小学校ってどうなんだろう?と思ってどきどきしたが、
留守家庭ルームを経て入学式に出、学校を歩いてみて、
まあ、何とか、楽しくやれそうやん、と安心している。

入学式の後に、講堂で保護者だけがクラスごとに分けられ、
PTAの役員決めが待っていた。

学級委員2名と、地区、広報、選挙委員それぞれ1名をクラスから選出する。
委員は、6年間のうち、一家庭が必ず一度はやらねばならないしくみらしい。
つまりポイント制だ。

なぜか、学級委員はすぐに手が挙がった。
お友達同士で示し合わせていたのだろう。
地区委員もその後すぐに決まった。
選挙委員は後ほどでよい、とのことになり、
残る広報委員の立候補がなく、無言の時間が過ぎる。

この委員決めの前に、夫と話していた。
この中でやるなら、どれがいいか?
そりゃー、広報やろ、楽勝。なんか書けばいいっちゃろ?
と、仕事内容も知らぬ初心者2人で同調していた。

「立候補の方がいなければくじになりますが?」
と司会の方が促した。やっぱり誰も無言。

まあ、くじになっても、広報ならまあいいたい、
と思いながら、ふと遠くに座っていた夫を見ると、
-手挙げろ!手挙げろ!
と激しく身振りで言っている。
つられて、
「はい!」
と手を挙げてしまった。

右も左もわからん、小学校のPTA。
さらに力の看護がこれから相当続くと予想される身の上で、
身の程知らずの立候補だ。
「まあ、ありがとうございました!」司会の方に感謝されてしまった。

まあ、なんとかなるやろ。

数日後のPTA総会に出席した。
全般の説明後に、それぞれの委員会でまとまった。
正副委員長を決めろと言う。
広報委員、全18名、やはり、皆さん、無言であった。
-それなら、あみだになります、という流れの時に、
私の隣に座っていた一人のお母さんが、
私はフルタイムで仕事をしているから、長はちょっと無理ではないかと思う、
といった内容のことを発言した。
その発言前から、なんだかんだとお友達同士で話をしていたのが聞こえていたので、
質問あるなら言えよ!とイライラしていた。
そして、この発言。
この場でその言い分はないやろ。勝手すぎ。
と、多分その場の殆どの人が思っているところを、司会の方がうまくまとめられて、
できないところはみなで協力することを前提に、正副を決めましょう、と、
あみだになった。

こんな議論を聞いていると、
しょうもないなあ、けっ私がなってやろうたい、と、のどまで出かけていたが、
月一の昼の会合の出席はさすがに無理だろうから、と、抑えていた。

結局、あみだで、そんな発言した人でもなく、自分でもない、
全く目立たなかった方が委員長になった。

お世話になった保育園では、父母会が盛ん。
入園当初、ドライ環境で育った私はひええ、と驚いたもんだが、
数年すると、皆さんのパワーに感服し、また勉強させられて、ずいぶん考え方が変わった。
皆さん、ハードに働きながら、育児しながら、
今までの伝統の体制の父母会を継続して運営している。
「こどものために」という、父母会の意義を理解していることが、でかい。

対して小学校は、義務教育。
家庭も千差万別。
所属する人も多いし、PTAがうまく機能するには、ハードルが多いことはわかる。
でもねー、
PTAって何のためにあるのか、
みんなそれぞれ考えてみれば、ちょっとは改善するだろうにねえ。
一人一役とか、あみだ、とか言ってちゃなあ。
「PTA」
この名称は、私が子どもの頃から全く変わらず、イメージも全く変わってない気がするぞ。
ちょっと変えてみればいいのに。