先日、看護師さんから、
力がうまれて、いろんな症状のことをどう思ったか、どう乗り越えたか、
ホンネの気持ちを聞きたい、と言われたので、
思い出してみた。
力が生まれて一ヵ月後にこのブログを立ち上げたが、
生まれてからのことをほとんどリアルタイムで書いている、まさに力を中心に据えた日記。
だから、その時々の状況も気持ちもほとんどリアル。
でも、全部を書いているわけではないのも本当だ。
その時書けなかったり、読む人が気を悪くするだろうと思って、あえて書かなかったりもあり。
力が生まれて、その日に救急車で運ばれた時、
夫は、もう力に会えないかと思って号泣していた。
でも、私は、そんなことがあるはずない、と楽観していた。
というか、今考えると現実逃避に近かったかも。
それに、いつものごとく、
落ち込んでいる夫を持ち上げる役目に徹して、自分のことを省みるのは後回しにしていた。
そして疲れて、熟睡した。
次の日、面会に行って、
多発性奇形、心臓に穴、という医師の話を聞いて、
やっぱり、ものすごくショックであった。
なんで自分の子どもがこんなことに!まさか、こんなくじをひいてしまうとは!
これが、夢ならいいのに、
3人産もうと思った私の選択は間違いだったのか、とさえ。
どれだけひどい症状なのか、その時点では全く分からなかったので、
精神遅滞はないのか、
大きくなったら、養護学級とかに進むのだろうか?
奇形と言っていたが、そういえば、普通の赤ちゃんとは顔が違ったよな、
もしかして、すんごい顔になるのかな、
そしたら、初の男児を楽しみにしていたおじいちゃんおばあちゃんをはじめ、
他の親戚達も、どう思うだろう?
心臓の穴、っていってたが、手術代がめちゃくちゃかかるのでは?
-私の今までの生活はどうなるの?私の思い描いていた未来は?-
こんなことを、実は思っていた。
全部、力には無関係の、自分の偏見と都合ばかりだ。何て自己本位。
その日の夜。
私は、生まれたての力を抱っこをしていた。
そして無表情で、「この子要らない」、と青いポリバケツに、ぽい、と捨てる、恐ろしい夢を見た。
夜中目が覚めて、冷や汗が出た。
-私は、力のことを本当に要らないと思っているんじゃないのか?
自分のうんだ子どもを?
本当は要らないと思っているのに、
そうではない、と無理に思おうとしているんじゃないのか?
深層心理が夢になって出てきたんじゃないのか?
そんなこと、あるはずない!と思いつつ、
自問自答しながら混乱していた。それから眠れなかった。
多分こんな感覚って、周りの人のヘルプがないと、
そのまま、闇の世界に突き進んでいくんだと思う。
私は幸いなことに、まわりのみんなに助けられて、事なきを得ている。
次の日、力のとこに面会に行った。
看護師さんが、保育器に手を入れて触っていいですよ、と言ってくれた。
初めて力の身体を触った。触った途端に、
「この子は、大丈夫!絶対、生きられる!」
変なテレパシーみたいなものが感じられた。
この感じは、母の私に、力が伝えてくれたに違いない。
『ボクハ、イキルヨ!』
力は、私がどうにかして生きさせてやらねば!
この日、心配してたおじいちゃんに力のことを話した時に、
「力を今日触りましたが、大丈夫だと確信しました。死んだりとかは絶対にありません。」
と言うと、
「あなたがそう感じたのなら、そうかもしれん。大丈夫かもしれんね。」
と言われたことを良く覚えている。
多分、この日、私は真に力の母になったんだろうと思う。
とはいえ、
私達と力だけの世の中ではない。
私達も人間だ。周りの目は当然気になる。
たとえ自分達が気にならなくても、
力を見て、?とか、!とか思う人は、きっといるだろう。
だから、おじいちゃんおばあちゃん、その他の人たちが、力を、
「かわいいねえ。」
と言ってくれても、逆に、何も言わなくても、
どっちにしても、かなり気になっていた。
偽りじゃないのか、哀れみをもって情けをかけてるんじゃないのか、
と、被害者意識を勝手に持っていた。
つまり、自分が一番、力の見た目や症状のことを気にしていたってことだ。自意識過剰。
看護師さんや、医師たちが、かわいいよ、力くん、と言ってくれても、
素直には受け入れられなかったのが、当時、正直なところだった。
でも、こんなことも、力が生まれて半年以上経って、
この頃には考えもつかなかった、いろんな怒涛の展開を乗り越えた今では、
どうってことない、あの頃は若かったわねえ、と書けるほどになった。
力は力よ。文句ある?と、胸を張れるようになっていた。
先日、メイン担当の看護師さんに、
-力のことをかわいい、と言ってくれるのはとってもうれしいけど、
スタッフさん達の中には、やっぱり、私達に気を遣ってくれてる人もいるでしょうねえ。
と言うと、怒られた。
「そんなことないよ!本当にかわいいと思ってないと、言わんよ!
そんな社交辞令言い続けながら、看護師が看護はできんよ。
私達は、不思議なもんで、目に見える姿が、かわいい、と思う訳じゃない。
この子達が、一生懸命生きて、昨日できなかったことが今日はできたり、
にっこり笑ってくれた時に、本当に、胸がきゅん、とするの。
だから、お母さん達もそんな風に思わんでよね!」
スタッフさん達は、もうこんな些細なことは最初から超越しているんだ。
私は全然まだまだや、と思わされた一言だった。
『何事も偏見なく、決め付けなく』
お姉ちゃん達によく言っていること。
自分は、今でもあんまり守れてないなあ。