みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

力が生まれた頃のことを思い出してみた

先日、看護師さんから、
力がうまれて、いろんな症状のことをどう思ったか、どう乗り越えたか、
ホンネの気持ちを聞きたい、と言われたので、
思い出してみた。
力が生まれて一ヵ月後にこのブログを立ち上げたが、
生まれてからのことをほとんどリアルタイムで書いている、まさに力を中心に据えた日記。
だから、その時々の状況も気持ちもほとんどリアル。
でも、全部を書いているわけではないのも本当だ。
その時書けなかったり、読む人が気を悪くするだろうと思って、あえて書かなかったりもあり。


力が生まれて、その日に救急車で運ばれた時、
夫は、もう力に会えないかと思って号泣していた。
でも、私は、そんなことがあるはずない、と楽観していた。
というか、今考えると現実逃避に近かったかも。
それに、いつものごとく、
落ち込んでいる夫を持ち上げる役目に徹して、自分のことを省みるのは後回しにしていた。
そして疲れて、熟睡した。

次の日、面会に行って、
多発性奇形、心臓に穴、という医師の話を聞いて、
やっぱり、ものすごくショックであった。
なんで自分の子どもがこんなことに!まさか、こんなくじをひいてしまうとは!
これが、夢ならいいのに、
3人産もうと思った私の選択は間違いだったのか、とさえ。

どれだけひどい症状なのか、その時点では全く分からなかったので、
精神遅滞はないのか、
大きくなったら、養護学級とかに進むのだろうか?
奇形と言っていたが、そういえば、普通の赤ちゃんとは顔が違ったよな、
もしかして、すんごい顔になるのかな、
そしたら、初の男児を楽しみにしていたおじいちゃんおばあちゃんをはじめ、
他の親戚達も、どう思うだろう?
心臓の穴、っていってたが、手術代がめちゃくちゃかかるのでは?

-私の今までの生活はどうなるの?私の思い描いていた未来は?-

こんなことを、実は思っていた。
全部、力には無関係の、自分の偏見と都合ばかりだ。何て自己本位。

その日の夜。
私は、生まれたての力を抱っこをしていた。
そして無表情で、「この子要らない」、と青いポリバケツに、ぽい、と捨てる、恐ろしい夢を見た。

夜中目が覚めて、冷や汗が出た。

-私は、力のことを本当に要らないと思っているんじゃないのか?
自分のうんだ子どもを?
本当は要らないと思っているのに、
そうではない、と無理に思おうとしているんじゃないのか?
深層心理が夢になって出てきたんじゃないのか?

そんなこと、あるはずない!と思いつつ、
自問自答しながら混乱していた。それから眠れなかった。
多分こんな感覚って、周りの人のヘルプがないと、
そのまま、闇の世界に突き進んでいくんだと思う。
私は幸いなことに、まわりのみんなに助けられて、事なきを得ている。

次の日、力のとこに面会に行った。
看護師さんが、保育器に手を入れて触っていいですよ、と言ってくれた。
初めて力の身体を触った。触った途端に、
「この子は、大丈夫!絶対、生きられる!」
変なテレパシーみたいなものが感じられた。
この感じは、母の私に、力が伝えてくれたに違いない。
『ボクハ、イキルヨ!』
力は、私がどうにかして生きさせてやらねば!

この日、心配してたおじいちゃんに力のことを話した時に、
「力を今日触りましたが、大丈夫だと確信しました。死んだりとかは絶対にありません。」
と言うと、
「あなたがそう感じたのなら、そうかもしれん。大丈夫かもしれんね。」
と言われたことを良く覚えている。

多分、この日、私は真に力の母になったんだろうと思う。

とはいえ、
私達と力だけの世の中ではない。
私達も人間だ。周りの目は当然気になる。
たとえ自分達が気にならなくても、
力を見て、?とか、!とか思う人は、きっといるだろう。

だから、おじいちゃんおばあちゃん、その他の人たちが、力を、
「かわいいねえ。」
と言ってくれても、逆に、何も言わなくても、
どっちにしても、かなり気になっていた。
偽りじゃないのか、哀れみをもって情けをかけてるんじゃないのか、
と、被害者意識を勝手に持っていた。

つまり、自分が一番、力の見た目や症状のことを気にしていたってことだ。自意識過剰。

看護師さんや、医師たちが、かわいいよ、力くん、と言ってくれても、
素直には受け入れられなかったのが、当時、正直なところだった。

でも、こんなことも、力が生まれて半年以上経って、
この頃には考えもつかなかった、いろんな怒涛の展開を乗り越えた今では、
どうってことない、あの頃は若かったわねえ、と書けるほどになった。
力は力よ。文句ある?と、胸を張れるようになっていた。


先日、メイン担当の看護師さんに、
-力のことをかわいい、と言ってくれるのはとってもうれしいけど、
スタッフさん達の中には、やっぱり、私達に気を遣ってくれてる人もいるでしょうねえ。
と言うと、怒られた。

「そんなことないよ!本当にかわいいと思ってないと、言わんよ!
そんな社交辞令言い続けながら、看護師が看護はできんよ。
私達は、不思議なもんで、目に見える姿が、かわいい、と思う訳じゃない。
この子達が、一生懸命生きて、昨日できなかったことが今日はできたり、
にっこり笑ってくれた時に、本当に、胸がきゅん、とするの。
だから、お母さん達もそんな風に思わんでよね!」

スタッフさん達は、もうこんな些細なことは最初から超越しているんだ。
私は全然まだまだや、と思わされた一言だった。

『何事も偏見なく、決め付けなく』
お姉ちゃん達によく言っていること。
自分は、今でもあんまり守れてないなあ。