みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

入院4日目

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また夫と交代して家に帰ってきた。
どうなるかわからんが、とりあえず一日交代でやってみようということになった。
夫は、最近雨で洗濯物が乾かないことをいいことに洗濯をさぼり、
私が帰宅の日に2日分山盛りたまっている。
まあ、文句は言うまい、一応、彼は日中仕事している。

さて、力、入院から4日。
入院付き添い時の私、夜はここぞとばかりに高いびきで熟睡しているが、
夫はほとんど眠れないらしい。(肝のこまいヤツ)
まあ、全く目が覚めない母にも問題がありそうだが。。。

夫が初めて泊まった入院2日目の夜は、
力、オールナイトで起きていたらしい。
看護師さんは深夜、アラームがなるたび、
また、痰取りにと、頻繁に病室に来ていたそうだ。ご苦労様です。
朝、夫と交代した時、力はぐっすりだったが、実は寝たのは朝6時だったとのこと。
それからというもの、交代していく看護師さんそれぞれから、
力くん、夜眠らないらしいね、今日は寝てよ!と声をかけられていた。
申し送りの際に相当言われているに違いなかった。

その日は朝から昼から昏々と眠っていた。
ぐっすり眠るとやっぱり、すーっと酸素飽和度が下がってしまう。
呼吸が浅くなる熟睡がよくないみたいだ。
力はもともと眠ると、
風呂に入れようが、痛いことをしようが、何をしても起きない。
入院中もそうで、日勤の看護師さんにあきれられていた。

そうそう、2日目から少しずつミルクを注入することになった。
一回30cc。ほんと、振り出しに戻る、やなあ。

お昼にじじばば(夫サイド)+ばば(私サイド)が面会に来た。
おばあちゃんの、これでもかと言うほどたくさんのお弁当を持って。
ほんと、いつもいつも、おばあちゃん達にはお世話になりっぱなしだ。
心配かけているだろう。すいません。

夕方、オムツ替えのとき、ふと見てみると6本目の足指が紫色になっている。
げげ、看護婦さーん、と呼んで、先生と相談した。
先日の行き違いでの手術延期で、4月頭に切断手術と変更になっていたが、
多分当分入院するこの際、
「結さつ(漢字わからず)」してもらうことにした。
麻酔のリスクは取りたくないもん。

細い糸でぐるぐる巻きにしてぎゅっと締める。
さすがにその時は力、大泣きしていたが、すぐおさまった。
血が通わなくなり、しわしわのミイラみたいになるよ、と整形の先生が言っていた。
なんとも、大雑把な感じではある。

その日の夜、私は相変わらず熟睡、力は深夜帯にやっぱり起きていたらしい。
でも前の日よりはましだったとのこと。

3日目になると、ずいぶん顔色が良くなった。
ミルクも50ccに増えた。
でも、やっぱり熟睡すると酸素を取り込めない感じだ。
ミルクが入ってきたからだろうか、笑ってくれた!うれしかった。

4日目、今日は朝から目覚ましモード。
看護師さんから、いいぞいいぞ、と言われている。
ミルク注入中、力は珍しく起きていたので、分泌物が次から次へ。
看護師さんが忙しくしていたので、母が代わりに取ってたら、後から後からで終わりがない。
しつこく取っていたら、ちょっとだけべろっと吐いてしまった。
いかんいかん、余計なことしまい。

午後に外来の看護婦さんがわざわざ様子を見に来てくれた。
よかったーよくなって、顔色全然違うね、
とやっぱり入院当日は大変だったことを再認識。

今夜は力きっと寝るだろう。
夫は今頃眠れているだろうか?