みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

意識共有の難しさ

先日、ヘルパーさんにケア依頼して外出した時のこと。
試験勉強で家に残っていたおねえNが、
「なんか、ちーくん、吸入めっちゃ嫌がりよったよ。
ヘルパーさんたち(同行で二人体制だった)が一生懸命押さえてやりよったけど、
お母さんいつもあんなやり方でやってたっけ?ちーくん、いつも嫌がって無かったよね?と思ったっちゃんね。」
と、私が帰宅してヘルパーさんたちが帰った後に、言った。

その時は、へえ、嫌がってたって、珍しいね、なんでやろね?
と話して、あまり気にかけずにそのままにしていた。

週末、久しぶりにヘルパーさんから看護師さん、ヘルパーさん、と、トリプルでロングのケアを依頼した。
前日深夜まで勤務の夫は昼過ぎまで寝ており、起きた後その時間帯にちょうど自宅にいた。
すると、そこで、ヘルパーさんたちの吸入現場に偶然会い、
力がびいびい泣いている状態で、身体を一人が拘束した状態で行っていたので、びっくりしてやめてもらった、
と、報告。(メール)

Nの話ともつながった。
帰宅して、特に吸入の件で何も報告もなかったので、
その時点では、吸入時には、本人が嫌がるような拘束はせずに、ラフでいいです、と伝えてその日は終了。

で、なんでそうなったか、考えてみた。
先月、力のTチューブの閉鎖の話が出て、その後、スピーチバルブは閉鎖状態にしているので、
今までのように気道内に向けて、気管切開孔で吸入するのではなく、
気管切開していない人と同様に、呼吸する口鼻から、吸入器をマスク型にして行うことに変更していた。
そのやり方に関して特に申し送りすることなく、マスクで口鼻に向けて吸入してください、
と口頭で指示したのみ。細かく、こうしてああして、とは注意せず。

そつなく、まじめにやってくれてて、結構長くお付き合いしているヘルパーさん。
力は眠っていなければ吸入中は特に顔をどんどん動かすので、
できるだけ薬剤漏れがないようにやらねば、と、
ちょうど同行者がいたことで、拘束し、マスクを顔に押し付けて、の手技になったのだろうと推測。

が、これは、もしかすると、監督してくれている訪問看護師さんも同様の手技かもしれない。
それだとまた違う話になる。
翌朝、すぐに、看護師さんに相談の電話をした。
すると、担当の方は不在だった代わりに管理者の方がいたので、その旨相談し、確認してもらうことにした。

吸入指示を受けたら、薬剤漏れがないことを最も重視して必要なら拘束もしながら行うことが一般的なのか?

休日中だったので急ぎはしなかったが、管理者の方の迅速な対応で、夕方には回答があった。

曰く、ヘルパーの個人的な思い込みで、そうやることが当然だと思っていた、とのこと。
監督する看護師については、私と同様、マスクで吸入、は、わりとラフにやってくれていたが、
ヘルパーの吸入手技については確認していなかった、とのこと。

吸入方法が変更になったのはたった一ヶ月前のことで、
ヘルパーケアはいつもはだいたい週一程度しか来てもらってないし、いつも同じ人ではない。
毎度毎度拘束したというわけでもないだろうが、
もし、
偶然、Nと夫がその場に居合わせなければ、ずーっとそのような方法で、以降も吸入されていたはずだ。
早くに気付いてよかったと思うとともに、怖いな、と感じたのが正直なところ。

看護師さんは、自分たちの監督不行き届きを謝っておられたし、
ヘルパーさんも同様。

だが、こちらも、責任はあると思う。
マスク吸入の方が今までよりも簡易になったとの思いこみ。
自分がやってる方法が一般的であろうとの思いこみ。
もし違っていても誰かが指摘して修正してくれるだろうとの思いこみ。

多分こんなことの積み重ねで、ミスが出たり、事故が起こったりするのだろうと思った。

きっとわかってくれてる、とか、
これが当たり前だ、常識だ、とか、
そんな思い込みはどんな時でもとっぱらって、地道に確認することは、
自分が他の人と何かをするときには、必ず必要なこと。
めんどくさがったら、後で大きなしっぺ返しが来るよ、という警告だろうと、反省した。

吸入手技程度のことでよかったと思うべきか。
確かに、何か重大なアクシデントにはつながらずに、よかったとは思った。
ただ、人に依頼する、ということは、本当に大変なことだなあと、改めてため息が出たのも本音。

仕事や、家族内、友人関係などでも、
あることに対する意識を共有することについて、
ま、いいか、なんとかなるでしょ、で済ませてると、大変なことになってしまうことは多い。
お互い言葉にして確認し合うことが大事だということは、毎日の生活にも言える。

力の体調を管理してもらうために、訪問看護師さんを頼み、
力をケアできる人が可能な限りたくさんいてくれるようになるために、ヘルパーさんを依頼している。
ケアしてもらっている時間に、私はやらねばならないことをしたり、
まさに、レスパイト時間を過ごさせてもらったりで、
これらのサービスがなければ、多分力よりも私の方が先に、危険な状態になっていたはずだ。
協力してくださっている人は、大げさでなく、私や、家族の恩人だと感謝している。
特に、ヘルパーさんのサービスを使えるようになってからは、
時間が限られている訪問看護師さんだけの時よりも、いろんな生活バリエーションが増え、
娘たちの主要な行事にはほぼ参加できる状態になった。なくてはならない存在だ。

どうするか、どうなるかは、自分次第。考えさせられた週末だった。

それにしても、
拘束して嫌がっても吸入してくれと、そのヘルパーさんにケア指示した誰かがいるのなら、
それは、個人的には、それはダメでしょ、とも思った。
でも、それも、その人次第。常識の捉え方はそれぞれだから、押しつけることはできない。
嫌がるケアをやってくれ、と言われて、やらざるを得ないスタッフさんは、やっぱり大変だ。

常識はあってないもの。そうはいっても、大事なところはやっぱり一つではないかとも思うのだが。
それも思い込みか。