みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

Rの謝恩会

今年度小学校卒業のR。
Rはなかなか担任に恵まれなかったが(私の個人的見解で)、
最終学年は、みる限り、
クラスメートとともに、集大成的に有意義に過ごしているようで、親としてはうれしい限り。
 
本日、年度、及び、小学校最後の参観の、「謝恩会」に参加してきた。
 
おねえNが小学生時期の多くは、力の入院で、行事参加がどうにもならないことが多かった。
が、Rについては、特にここ数年、力の入院や不調は減っており、
力の療育施設や学校送迎のため時間が合わない、というもっともらしい言い訳をしていたが、
半分は、こちらの慣れと、既知感から、参加率を下げてたのが本当のところ。
NもRも、年次が上がるに従って、参観来んでいいよ、と言っていたのにも乗じていた。
 
おねえNの時になかった「謝恩会」。
このお知らせと出欠票をRが先日持ってきていた際、
いわゆる、保護者主体の謝恩会なのだろう、と、
まさに、時間も力の迎え時間にかかる微妙なタイミングだったので欠席返事を出していた。
 
その後、Rの話を聞く限り、どうやら、謝恩会が最後の参観らしいことが判明。
力の体調もよさそうなので、急きょ、担任の先生に、行けたら参加しますと返事して、
学校への駐車許可証も特別にお借りして、力のお迎え時間前のギリギリまで参加することにした。
当日、力は無事元気に登校してくれたので、私も無事に参加でき、ありがたかった。
 
「謝恩会」は、先生方が企画してくれた、子どもたちが保護者に対しての謝恩会、というものだった。
 
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子どもたちが先生方の力を借りつつ式次第を執り行い、
合奏合唱や、呼びかけ、などがあって、
プレゼントとお手紙の贈呈。
プチ卒業式、というところか。
 
Rは私にエコバックを作ってくれており(なかなか上手にできてた)
お手紙は、
「お母さんへ」
「お父さんへ」
と封書に連名であて名があり、それぞれに便せん一枚ずつ。
 
怒るとめちゃくちゃ怖いお母さんだけど大好きです、とか、
絶対泣かないお母さんが大好きです、とか、
そこ?と突っ込みどころ満載の手紙で笑えたが、うれしかった。
 
先生方作成の思い出のスライドショーでは涙する保護者の方もいらっしゃった。
練習重ねた跡がみえる合唱合奏も含め、なかなか感動的な謝恩会、参加して良かった。
 
思い返せば数日前から、
R、謝恩会の日、呼びかけするよ!
とか、プレゼントがあるよ!
とか、ネタバレ小出ししていたので、本当は来てほしかったのだろう。
実際、今日はほとんどの保護者が出席しており、親子数人ずつのグループ席設定で、
私が欠席していたら、Rは席中、子ども一人っきりでいなければならなかったところだった。
よかった、行けて。ホッと胸をなでおろしていたところ。
 
 
Nも、Rも、低学年時から、私が学校行事にほとんど参加しないことに対して、何も言ってきたことがない。
で、たまに、私が頑張って調整して参観に行くと、ちょっと迷惑そうな顔をする。
無理して来んでいいのに参観とかさ、なんてへらず口を叩いていた。
 
でも、本心は、違ったのかも。
運動会や入学式、卒業式などの大きな行事は、
力も頑張り、ヘルパーさんたちの協力もあって、一度も休まず参加できたのはよかったが、
言いたいけど言えなかった、てタイミング、NにもRにも、きっとあったに違いない。
Rの卒業で、小学生のおねえがいる時期が全終了してしまうと思うと、とても感慨深い。
 
NともRとも、綱渡りの日々を、怖い怖いおかあさんと一緒に格闘したねえ。
夫がいなかった約5年間は、ほぼ丸々彼女らの小学生時代だ。
 
NもRも、私にとっては我が子でもあるが、戦友のようなものでもある。まだまだ闘いは続く!
 
しかし、いろいろ良く頑張った!謝恩。