先日、おねえたち2人、ピアノの発表会に参加した。
忙しいNは練習時間が限られており、このごろは、自分的に満足いく演奏ができないらしいが、
それでも、それなりに、しっかり弾いていた。
練習嫌いのRだが、小学校高学年になるにつれて少し弾けるようになってきたこともあり、
夫のリクエストの曲をなんとかクリアし、立派に弾いていた。
また、姉妹の連弾を、先生が選曲してくれて、それは、また、大変よかった。
夫、録画した動画を、当日の夜、皆が寝静まってからも何度も何度も何度もみて、
そのたびにうるうる涙目になり、
いやー、NもRもすごくない?すごいよね!一番いい演奏よね!感動する!
と、超親ばか状態だ。(私は夫の親ばかコメントにほぼ応答していない)
おねえたち、2人とも、小学一年生からピアノを習っている。
私が子どもの頃、短期間だが習ってた0先生にお世話になっていたが、
ご都合で転居されたので、0先生のお知り合いのZ先生を紹介していただき、今も続けている。
習い事というのは、絶対先生を選ばなきゃだめだ。
私はピアノを習った大部分の期間が、嫌で嫌でたまらずにピアノも音楽も嫌いになりかけたが、
O先生に会って、一気に好きになったし、今でも弾けるのはO先生に習った曲ばかり。
中学生になって部活が忙しくなりすぐにやめたので、上達はしなかったが、
最初から0先生に習ってたら、どんなによかったかと今でも思う。
ありがたいことに、娘たちも0先生にとてもよくしていただき、力のことも考えてくださって、
夫もおらずに力も不安定な大変な時期も、なんとか続けられた。
今のZ先生も、事情をわかった上で、2人ともよく面倒を見ていただいて、
また違った指導でうまく伸ばしてもらっている。とてもありがたい。
娘たちは、ピアノにがっつりはまっているという状況とはほど遠く、
まあまあ楽しく練習しつつ、続けているのだが、
学年の合唱や、合唱コンクールの伴奏などを弾いたりするレベルには到達しており、
既に数年前で、Rでさえ、いやいや続けていた私が足元にも及ばないくらい弾けてる。
親の私たちも力も、家族のひいき目があるだろうが、
そこそこレベルの演奏でも、2人のピアノ、とてもいいと思っていて、いつでも聴いていたいものだ。
先生も、ほめてくださるのだが、
そこから、ピアノ、というか、つまり習い事一般について言えることだが、その道をまい進できるかと言うと、
娘らもそうだが、親(特に私)が、やっぱり尻込みしてしまう。
我が子の才能がどこにあるのか、何が合っているのかを見つけることができる親ってすごいと思う。
小さな頃から、誰もが、きらめく能力を発しているわけではないと思う。
また、発揮する機会も、誰にでもあるとは限らない。
でも、きっと必ず、何かしら、誰にでもあるんだろうな、とも思う。
今は特に、誰かが何か小さな「きらり」を見つけて、
それから磨いて磨いて、才能=タレントにしていくことが多いのではないだろうか。
その、磨いて磨いて、の道を選べる親の覚悟、というのは、親の立場からみて、すごいことだと、思う。
ちょこっとやらせてみて、ダメだったらやめさせる、なんて、言う人も多くいるけど、
ダメだった、の判断はいつ、どういう基準でするんだろう?
続けさせたことが、やめさせたことが、その子の人生に重大な影響を与えてしまうかもなのだ。
そう考えると、一生懸命、磨いて磨いて、の道をサポートする親って、すごいなーと。
うちは、ピアノに関しては、
最初から「音楽を楽しめるように」、なんてゆるいスタートだということもあり、
今、なかなか弾けてきた娘たちも全く欲が無い。こんな彼女らの背中を押す勇気は私にも無い。
まあ、なんにせよ、一生懸命やったことは、全て、今からの人生の糧になり、
音楽は、きっと、彼女らの生活を豊かにする。
彼女らの子どもたちにも、きっと良い影響を与えるだろう。
何より、私たちが、彼女らの演奏が好きなのだ。
一緒にいる限り、いつでも、聴ける。
普通のことかもだが、とても価値のあることなのだろう。
親ばかですが。
[発表会演奏曲]
Nソロ:無言歌集より 狩りの歌/メンデルスゾーン
Rソロ:ワルツOp.64-2/ショパン