みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

おねえの作文

(親バカ、ご了承ください。)
 
帰宅したおねえが、作文が載った、と小冊子を手に持ってきた。
「でもねえ、よく読むとさあ、イマイチやんね~。」
とか言い訳しながらも、うれしそう。
小冊子は、当地の教育委員会関連の今年度の「中学生文芸」というもの。
作文や詩などが選ばれて掲載されているもののようだ。
おねえの学校からは3年生と自分のが載った、と言っていた。
 
見ると、
 
「弟が生まれて」
 
という題の作文だった。
そういえば、夏休みの終わりごろ、ひいひい言いながら書いていたのを思い出した。
小学校まではかなり厳しい母のダメだしを受け、めそめそ泣きながら作文を書いていたが、
中学生にもなると、母に見せることもなく、一人で、
あーもう書けん~作文いやだあ、とごちゃごちゃ言いながら書いていた。
できた、と言うので、ちょっと見せてよ、と言うと、嫌だ!と言って逃げていった。
だから私は何を書いたか全然知らなかった。
 
中学生になったNと、小学校高学年になったRとには、
力が生まれてからのことや、
どれだけシビアな状態があったか、というのを、たまに話すことがあり、
それぞれ、かなり真剣に聞けるようになっている。
 
「その時に話してくれたってよかったやーん~。そんなにすごい状況やったとか知らんかった~」
 
などとそれぞれ口々に言うが、
キミら、今でこそ状況把握できるけど、
そのころは、おかーさーん、帰ってきてよう~て、びいびい泣いとったやろ、
あっちもこっちも、どうもならん~っておかーさん、毎日ギリギリな感じやったとって~、
と、今でこそちょっとした笑い話になっているこのごろ。(本当に本当にありがたいことである)
 
 
おねえNの作文は、親の私が言うのは何だが、泣ける内容だった。
 
力が生まれた当時Nは、年長さんで、何となくわかるがちゃんとはわからん、という位の年齢。
対して、Rは年少さんで、お迎えに私でなくばあちゃんが来ると、おかーさんがいい!
と癇癪回して大泣きする、位の年齢。
この2人の年の差は、ずいぶん違う。
物理的に面倒なのはRだが、気を遣うのはN。
実際、Nが卒園して就学する一番不安定で微妙な時期が、力の、命にかかわる恐い時期と重なった。
Rは、ばあちゃんに対して大泣きしたことくらいは覚えているが、はっきりとは思いだせないらしい。
 
娘たちはラストまで保育園で過ごし、誰が迎えに来るかわからず、、どこの家で過ごすかも不明な日常。
そんな時期に、
「力がうまれんどけばよかったのに」とNが言ってたよと、義母から伝えられ、
ショックを受けつつ、そんなこと言うのもわかるなあ、と納得したりして、
ブログや、当時、連載させてもらっていた新聞記事に、そのことを書いた。
その記事はN本人も読んだし、私も直接Nに、
そんな風に思うことは子どもとしておかしいことじゃないと思う、とか話したりはしていた。
本人はうろ覚えらしいが、言ったことを悔いているようだった。
そのことを、作文にも書いてあった。
 
結びには、いつの日か、力とRと自分と三人で、走って鬼ごっこできるのを楽しみに待っています。
と、書いてあった。
 
彼女のこの7年間。
うちに力を授かったことでいろいろと思うことがあったのだろうが、
大きくなったもんだなあ、というのと、ずっと、こんな気持ちでいてくれたらいいなあ、と、
親ばかではあるが、しみじみ。
力はおねえが2人もいて、しかも、とてもかわいがられている。幸せ者だ。
 
Rも、その作文を黙って読んでいた。
そして、開口一番、
「Nってさー、ちょっとカッコつけてない~?」
 
そりゃ、確かにそんなところもあるんでしょうがね。
しかし、これもRらしく、笑ってしまった。このごろ何につけNと張り合うR。
 
「でもさー、これ読んだら、多分おとーさん、泣くよ。」
 
ですよね。