みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

No Run, No Life

年末がんがん立ち回り、正月は作り食いっぱなし。
明けると必ず身体の重さが増加し、体調を一度は大きく崩す。ここ数年の私の風物詩となりつつある。
 
今年は、明けてすぐに体調崩し、治ったとたんに力が入院した。
入院生活というのも年末年始に次いで、
レンジご飯や炭水化物過多の生活になるため、必ず増と崩だ。悪い条件がダブルだ。これはまずい。
 
入院した病棟は、うちは、いわば常連だ。
師長さんはじめ、看護師さんは、新人さん以外はほぼ顔なじみ。
その看護師さんの中の一人で、以前入院した時からすると、めちゃくちゃ痩せていた方がいた。
 
「めっちゃお痩せになったじゃないですか?ダイエットしたんですか?」
「そうなんですよー、実はこれなんです。」
 
走るポーズをしてみせてくれた。
ここ数年、ランニングも女性のファッションだ。
 
それにしても、ぐっとスリムになって素敵になった看護師さんをみて、これは走らねば!と思い立った。
 
 
ここ数年の力のケアのための軟禁、引きこもりがちな生活は、身体に絶対にいいことはない。
私が無理してもどうにかぶっ倒れないのは、学生時代に鍛錬した分を少しずつ取り崩してきたからだ。
でも、もう、貯蓄分も残り少ないはず。
ケアをしながら、お金をかけずに体力保持し、少しは引き締めるための様々をやってみたが、
今まで最も効果があったのは、「ラジオ体操」だった。
これは、夜中でも一人でもできて、全くお金もかからないので、理想的ではあるのだが、
いかんせん、ファッショナブルでは決してない。
だから、結構、意思力もいる。一旦やめると、またやろう、とするのには、魅力が大幅に不足。
といっても、やっぱりスポーツジムなんかには、もう行きたくない。
居る人みんな、自分と次元の違う人たちのように感じて居心地が悪すぎる。
 
そんな時に、ランニング、の話だ。
 
退院してすぐに、スポーツ用品量販店にシューズをみにいった。
店員さんに聞くと、今は、靴も、機能よりもデザイン重視です、とのこと。
そうか、やっぱり、ファッションなんだ。
 
でもね、そうわかっていても、元陸上部の私は心動かしません。
昔から定番だと言われる、a社の靴を早速通販で購入した。
そして、ウエアも買った。
走るためのグッズもそろえた。
(靴以外はほとんどリーズナブル商品にて。)
 
のが、2月頭。厳寒の時期だ。
 
寒いから、なんて言ってたら、きっと走らずに、靴もウエアも無駄な投資で終わってしまう。
力の体調がよく、通園施設にて元気に過ごしてくれている時などを見計らって、走ってみた。
初日、激寒(外気0度)のなか、3キロ走った(1/3はほぼ歩)。
翌日、身体ガタガタの中、のろのろ5キロ走った。
3日目あたりから、やや、こなれ感がでてきて、少々楽に。
もっと連続して走ればいいのだろうが、ここは、力の都合次第。
なかなか連続して続けられなかったが、時間を見つけて1キロとか2キロでも走ることにして、3月まで。
 
いつも体調悪い時にだぶつく2キロ分は、もう増えることがなくなり、
ずいぶんご無沙汰している体重計の目盛に到達しつつある。
ただ痩せただけでない。身体は軽いし動く。体重減以上の効果なのだ。
 
3月になってもろもろ多忙になり、走る時間さえも取れなくなったが、
やっぱり、走ること、は、体力保持、体力増強に最も効果的だということが、よくわかった。
 
実は中高大学と、体育会系だ。ランニングは、身体を作る「いろは」の「い」。しょっちゅう走っていた。
走るのが好きで得意だったので、運動会や体育祭が大好きだった。
今は、そのころに比べれば、速さも体力も、比べ物にならないほどだが、
足も身体も、まだちょこっとだけは、そんな記憶を覚えている、ような気がしている。
 
No Run, No Life
とまでは、全く到達していないが、いつか子どもたちとでも、ホノルル走れたら楽しいだろうな~
 
これから日焼けは気になるが、
皆さんもいかがでしょう。のんびりランニング。