みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

「力」大安売り

また今年も24時間テレビが放送された。
 
しかも、今年はサブタイトルが「力」である。
正味30分程度しかチャンネルは合わせていないが、
必ず画面上のどこかに見える「力」という文字。
「わたしの力」というコーナー、があったり。
おねえたちと一緒に、
ちょっとなんこれー、力の大安売りみたいやんか!ちょっとむかつくやん?
などと、文句タラタラで見てしまった。
 
毎度思うことだが、この、「善意」前面に押し出した番組は、
出演している方々や記録に挑戦している方々、頑張っている方々には本当に申し訳ないのだが、
ホントに、気持ちいいものでは、ない。
 
おきまりの、とか、お涙ちょうだい、とか、えせ、みたいな文字が頭に浮かぶのは、
私がひねくれているからだろうか?
毎年、結構な時間を割いて、障害がある方やそのご家族、難病と闘う方々が取材され紹介されるが、
今年は、震災から復興する人々にスポットがかなりの比率で当てられたようにみえた。
どちらにせよ、番組をみる限り、
なんてかわいそうに、とか、大変ねえ、を煽っているのではないかと、思う。それなら本当に有難迷惑なことだ。
 
募金、チャリティ、というと、障害がある人へ車いすを贈る、とか、途上国の子どもたちにワクチンを、などと、
一般的には、いわゆる画一的なイメージ先行で、固まってしまっていると思う。
私だって、力を授かる前はそう思っていた。
24時間テレビのマークがついたバスなどをみると、
あー、あの募金、ここに使われてるんだ~、などと漠然と。
 
震災の今年。
募金をして、形ある何かを、困っている人に贈る、という1方向では一過性だというのは、皆わかっている。
番組をみているどんな層の誰にでも、できるかもしれないと思わせる、何かしらのチャリティを、
提案すべきだった。
 
番組終了間際、2億位のお金が集まったと、アナウンスがあっていた。
 
2億。
すごいお金だが、それで、どれだけのことができるのだろう。
 
番組に出演しているタレントさん達は、ほぼ、真のチャリティ意識を持ってやってるわけではないだろう。
こちら現地でーす、とか、先日お会いしたんですけどねえ、なんて軽く言われても。
ラソンとか、山の登頂とかも、いかにも、お金のかかることは、一切やめてほしいものだ。
どんだけ交通費人件費かけてんのよ。