4月から新しい園に通っている。
施設は、多分、県内で最も充実しているであろう、素晴らしいものである。
年長の1年だけしか在籍することができないのはおしいなあと思っていた。
施設の区分は「知的障害児通園施設」である。
通知に、この名称が記載してあり、あれ、と思ったが、区分だけの話なんだろうお役所仕事なんだろうと、
あまり気には留めなかった。
しかし、通園前からの印象は確かだった。
しばらく通ってみると、やっぱり、肢体不自由児、というのはマイノリティなのだ。
しかも、うちは、その中でさらに、医療ケアがっつりの、特特児であることを思い知らされる。
以降愚痴。
園で、年下のお友だちが最近、
食べることが少し苦手になり、なかなか栄養がとりにくくなってきたので、
主治医から、経鼻注入、またさらには、胃ろうの説明を受けたらしく、
力の胃ろうボタンを見学に来た。
経管注入何たるか以前の状態のママは、医師から説明受けて???であった。
経鼻はともかく、胃ろうは、胃ろうでなけりゃどうしようもない、という状況になっての検討をぜひ、
と簡単にお話しした。
後から考えるに、きっと、まだそんな段階ではないのだろうと思った。
力は、様々医療ケアがあるため、
医療関係者やケースワーカー、福祉関連の方面から、
参考にさせて、とか、他の保護者の人と話して、とか、言われることが、比較的多い。
当事者同士が一番よくわかるから、
と言われる。
そりゃその通りだ。
私も先輩母ちゃんからたくさん話を聞かせてもらったし、それが参考になったし勇気も出た。
だから、私もできる限り、経験値は話したいと思う。少しでも気が軽くなってくれれば、本当に幸いだ。
でも、話してあげて、とか、アドバイスしてあげて、と言われる度に、
非常に重たい荷物を背負わされている気がしているのを、わかってくれてるのだろうか、と思うことが、ある。
うちは、胃ろうにせねば、どうしようもない状況で、0歳児時に手術した。
その際に、気管切開も、胃の細工も、やった。
どれも、そうせねばならない状況にて。最初の大きな大きな手術だった。
今考えると、これらをしなければ、その後、何度もあったリスクに抗することができたか?
きっと、力の生存可能性はかなり低かったのだと思う。
だから、気管切開も、胃ろうも、持ったことには後悔は今はない。
だけど、特に気管切開の決断に関しては、ホントに世の中から消えたい位に逡巡したのだ。
主治医も、忙しい身だったにもかかわらず、ちょくちょく病室に来てくれて、長々と話しをした。
「力のQOLを考えるとねえ。。。。。」
と、医師としての判断と、人情的なところのはざまを、身を持って見せてくれたことで、
結局のところ、力の体調不良から、手術することにはなったのだけれど、納得して、手術を受けることができた。
それから5年。
気管切開は、もしかすると、閉じることができるかも、とちらほら聞くことができるほど状況改善したし、
胃ろうのおかげで、栄養管理は良好、ぼちぼちではあるが、ずいぶん安定した成長をしてくれている。
しかし、胃ろう、そして、特に気管切開していることで、
新しい園での生活も、
就学前のいろんなことも、
特別支援、の中のさらに、超特別支援児としての立場として、現実を受け止めなければならない。
ぶっちゃけ、不利益をこうむる、と言っていいと思う。これがQOLか、と身を持って感じている。
まさに、命からがらに命を守って過ごしてきても、
法律を変えねばどうにもならん、という盾の前には途方に暮れて立ちすくんでしまうが、
日常の多くは、法で規定されていない裁量の部分のありかたで、私たちが大きく左右される気がする。
大まかな輪の中の、どこを目指すのか、のりしろを大きくとるのか小さくとるのか。
安全を考えれば、のりしろが大きい方がいいのはわかるが、
そのちょっとの差の中で生きている私たちは、
本当にいっぱいいっぱいの設定なのか、わからなければ、不信が募るばかり。
母的にはモチベーション下がりっぱなしのこの数カ月だが、
現在力は、大病や手術はあっても、現時点で恐ろしく機嫌がよく活発だ。ありがたいことに。
じたばたしても結局は、力の導くままにいくしかないのでしょう。
いつだって、ちゃんと道を開いてくれてるから。