みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

マイノリティの道のり

4月から新しい園に通っている。
施設は、多分、県内で最も充実しているであろう、素晴らしいものである。
年長の1年だけしか在籍することができないのはおしいなあと思っていた。
 
施設の区分は「知的障害児通園施設」である。
通知に、この名称が記載してあり、あれ、と思ったが、区分だけの話なんだろうお役所仕事なんだろうと、
あまり気には留めなかった。
 
しかし、通園前からの印象は確かだった。
しばらく通ってみると、やっぱり、肢体不自由児、というのはマイノリティなのだ。
しかも、うちは、その中でさらに、医療ケアがっつりの、特特児であることを思い知らされる。
 
 
以降愚痴。
 
園で、年下のお友だちが最近、
食べることが少し苦手になり、なかなか栄養がとりにくくなってきたので、
主治医から、経鼻注入、またさらには、胃ろうの説明を受けたらしく、
力の胃ろうボタンを見学に来た。
 
経管注入何たるか以前の状態のママは、医師から説明受けて???であった。
経鼻はともかく、胃ろうは、胃ろうでなけりゃどうしようもない、という状況になっての検討をぜひ、
と簡単にお話しした。
後から考えるに、きっと、まだそんな段階ではないのだろうと思った。
 
力は、様々医療ケアがあるため、
医療関係者やケースワーカー、福祉関連の方面から、
参考にさせて、とか、他の保護者の人と話して、とか、言われることが、比較的多い。
当事者同士が一番よくわかるから、
と言われる。
そりゃその通りだ。
私も先輩母ちゃんからたくさん話を聞かせてもらったし、それが参考になったし勇気も出た。
だから、私もできる限り、経験値は話したいと思う。少しでも気が軽くなってくれれば、本当に幸いだ。
 
でも、話してあげて、とか、アドバイスしてあげて、と言われる度に、
非常に重たい荷物を背負わされている気がしているのを、わかってくれてるのだろうか、と思うことが、ある。
 
 
うちは、胃ろうにせねば、どうしようもない状況で、0歳児時に手術した。
その際に、気管切開も、胃の細工も、やった。
どれも、そうせねばならない状況にて。最初の大きな大きな手術だった。
 
今考えると、これらをしなければ、その後、何度もあったリスクに抗することができたか?
きっと、力の生存可能性はかなり低かったのだと思う。
だから、気管切開も、胃ろうも、持ったことには後悔は今はない。
 
だけど、特に気管切開の決断に関しては、ホントに世の中から消えたい位に逡巡したのだ。
主治医も、忙しい身だったにもかかわらず、ちょくちょく病室に来てくれて、長々と話しをした。
 
「力のQOLを考えるとねえ。。。。。」
 
と、医師としての判断と、人情的なところのはざまを、身を持って見せてくれたことで、
結局のところ、力の体調不良から、手術することにはなったのだけれど、納得して、手術を受けることができた。
 
それから5年。
気管切開は、もしかすると、閉じることができるかも、とちらほら聞くことができるほど状況改善したし、
胃ろうのおかげで、栄養管理は良好、ぼちぼちではあるが、ずいぶん安定した成長をしてくれている。
 
しかし、胃ろう、そして、特に気管切開していることで、
新しい園での生活も、
就学前のいろんなことも、
特別支援、の中のさらに、超特別支援児としての立場として、現実を受け止めなければならない。
 
ぶっちゃけ、不利益をこうむる、と言っていいと思う。これがQOLか、と身を持って感じている。
 
まさに、命からがらに命を守って過ごしてきても、
法律を変えねばどうにもならん、という盾の前には途方に暮れて立ちすくんでしまうが、
日常の多くは、法で規定されていない裁量の部分のありかたで、私たちが大きく左右される気がする。
大まかな輪の中の、どこを目指すのか、のりしろを大きくとるのか小さくとるのか。
 
安全を考えれば、のりしろが大きい方がいいのはわかるが、
そのちょっとの差の中で生きている私たちは、
本当にいっぱいいっぱいの設定なのか、わからなければ、不信が募るばかり。
 
母的にはモチベーション下がりっぱなしのこの数カ月だが、
現在力は、大病や手術はあっても、現時点で恐ろしく機嫌がよく活発だ。ありがたいことに。
 
 
じたばたしても結局は、力の導くままにいくしかないのでしょう。
いつだって、ちゃんと道を開いてくれてるから。