みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

人生いろいろ、患者もいろいろ

久しぶりの外科手術と外科病棟入院だ。
ここで数年前、大波小波の入院生活を約半年間。力と私はほぼ居住していた。
 
ずっといた病室はナースステーション真横で、手術後や重症患者が数日滞在する観察室。2床の部屋だった。
でも現在では、半分がプレイルームにかわり、1床のこじんまりした部屋になっていた。
 
今回うちは、術後から退院まで、
その、様々思い出があり、様変わりした観察室に、また入室することになった。
 
 
こちらの病棟は、外科、整形外科の患者が主で、いわゆる、「かなり元気」、な子が多い。
また、特に外科系は、2泊程度でどんどん入れ替わり回転がはやい。
 
夏や冬春の学校の長期休暇時には、病棟は学校や保育園状態で、ベテラン看護師のおねえさま方が、
お母さんや先生になりかわって、叱ったりお説教したり。そんな光景が印象的だった。
 
が、
この度の入院では、そんな光景も様変わりして時間の流れを感じだのだった。たったの数年のことなのに。
病棟で居住していると、まさに、社会の縮図の中にいるかのよう。
 
 
1.入院後初泊日(週末・手術前日)のこと
 
久々に大部屋だった。
うちは気管切開管理や、吸入や、注入があるので、処置が何もなくてもベッド回りに物がたくさん必要だ。
だから、入院したらほぼ個室に入れてもらうのだが、この度久しぶりに大部屋。
周りにご迷惑をかけないかと心配だった。
 
でも、その日は4人部屋に2家庭だけだった。
窓側にうちと、立っちするかしないか位の女の子のご家庭が並ぶ格好。
 
同室のご家庭は終日、パパママがベッドにがっつり付き添っており、テレビみたり遊んだりしていたので、
多分一人っ子さんなんだろうと思っていた。
仲よさそうなご家族で、ママはとても気さくな感じの人だったし、パパも一生懸命抱っこしたりあやしたり。
同室で、価値観の極端に違う方と一緒になると、かなりかなりつらい目にあうことが多いので、
よかったなあと思っていた。
 
日曜だからか、ママは夕方帰宅してしまい、パパが残って泊まりの様子。
早めにカーテンを引いてしまい、様子を直接伺うことはできなかったが、
パパ、消灯後、音量小さくしてテレビを見ていた。
「仁」の最終回だ。病棟は消灯後テレビなどは全部不可なのに、結局最後まで視聴していた。
きっと、見たかったんだろうね、「仁」最終回。
力はその時間は寝ていたし、私も、明らかにうるさいわけではないし、目くじら立てる気にはなれなかった。
 
すると、仁が終わったくらいから、女の子がぐずり始めた。
パパは、声を押し殺して、「泣くなこら!」とか言っている。
きっと隣の私たちに気を遣っているのだ。
でも、そんなことで子どもがおとなしくなるわけない。
さらに叱責され、しくしく聞こえてきた。
かわいそうに、うちに気を遣わんでいいのに、お互い様だし、と心の中で思っていた。
 
すると、バシ!って音が聞こえた。
あー、頭叩かれてる。。。。
 
すると、ちょっと沈黙の後、さっきより大きな声で泣き始めた女の子。
またバシ!って音。
そしてさらにさらに大声で泣く女の子。当然だ。
 
すると、急に、ムムっとくぐもった声!
・・・・口を押さえられてる。いかん、これはいかん。いかん、いかん、どうしよう、、、、。
 
と、思ってると最後は大泣きして解放。まずいでしょ、それはまじで。
 
すると、くそっ、と聞こえて、乱暴にカーテンがあき、パパに抱っこされて女の子はいってしまった。
しばらくして戻ってきた時は、すっかり落ち着いて大人しくなっていたのだが、納得したからなのだろうか?
それからしばらく、ひどい目にあってないか?気になって気になってしょうがなかった。
 
翌朝、ママが来て、私に、
「すみません、パパのいびきうるさかったでしょう?ご迷惑をおかけしました。」と言われた。
「いえいえ、大丈夫です。」
と、つい、外交的な答えを返してしまった。
 
きっと、夜のことはパパさん、ママに、言ってないか、はしょってしか話してないはず。
着替えて何事もなくお仕事に出かけてしまった。
女の子は、その日は、ママとまったり過ごしていた。こちらに手を振ってにこにこしてくれた。
聞けば手術後で、退院待ちだという。
 
何事もなかったからいいものの、、、うおー、私、あの時、どうしたらよかったのよう????
 
 
2.術後2日目の日中のこと
 
ほとんどの子が手術前日に入院して、当日順番が来たらストレッチャーに乗って手術室に行く。
廊下をストレッチャーで術場に向かっている子どもたちには、心の中でがんばれ!と声をかけている。
 
ふと廊下に出た時、男の子が手術に向かっている場面にであった。
傍らには父母が付き添っている。いつもの光景だ。
が、いつもみるのと違ったのは、母親がハンディで録画しながら同行していたのだった。
 
何度も手術をして、まさに身を切られる思いで我が子を見送っている身としては、
そんな様子を見て、とても複雑だった。
ていうか、
ぶっちゃけ、ふざけんな、と思った。録画かよ?思い出の1ページてか??イベントごとじゃねーんだ!
 
でも、手術待ちの時間、父母は食堂で千羽鶴を折っていた。
我が子のために折っていたのかどうかは不明だが、おそらくそうだろう。
 
彼らにしては、やっぱり大きな「イベント」なのだ。
子を見送って録画し、無事に戻ってきたところをまた録画して、回復するところを逐次録画する。
で、後からみんなで、あんなこともあったね、頑張ったね、と笑ってお話しするのだろう。
手術で治ったから大事にしなくちゃね、と説教のネタにするのかもしれない。
 
自分も、力を授かってなかったら、この母親と同じだったかもしれない。
自分がどんな立場であるか、って、それだけの違いだ。
ちっ、と思ってみてしまうのは、心が貧しいから。反省だ。
 
でも、やっぱり思う。
この病棟で、子が術場に向かう時に、もう二度と会えないかもしれない、と思う親は、きっと少ない。
 
 
3.術後3日目の夕食後のこと
 
夕食がすんで、消灯までの時間、子どもたちはかなり手持無沙汰である。
ほとんどはプレイルームで遊んだり、病室でテレビを見たりして過ごす。
基本元気に毎日を過ごす子どもたち。病院生活はとても暇だろう。保護者も、あやすのは大変だ。
 
その日に病棟に入院中のメンバーはかなり無法だった。
数人がはだしで叫びながら廊下をぐるぐる走り回りながら鬼ごっこしたり、はたきあいをしたり、していた。
見る限り、周りに彼らの保護者の姿はない。やりたい放題である。
 
私はほとんど個室にこもりきりだし、明らかに困るというわけではなかった、それでもあまりに目に余った。
 
すると、とうとう、子どもたち同士でいざこざが勃発した。
うるさい!
うるせい、だまれ!
みたいな応酬だ。
 
どうやら、騒いでたのは手術前日の子、文句を言ってきたのは手術後やや安静中の子らしい。
暴言合戦になっていたところで、ようやく看護師さんがやってきて、話を聞いていた風だった。
 
でもそのあとも、やや騒いでいた。その後も誰もが黙認だった。(私も含め)
 
その日、騒いではないが、廊下ではだしで、しかも手をついてゴロゴロ転がって遊んでいた子どもも、いた。
なんてこと。。。家の床と違うのに。
 
 
4.術後5日目の消灯後のこと
 
私たちがいた観察室は、食堂兼プレイルームの隣にあり、保育の時間などはにぎやかな声や音が聞こえる。
 
病棟の消灯時間は21時。過ぎると強制的に各部屋の電気が消える。
だが、食堂だけは消灯後1時間、子どもたちの学習優先タイムで消灯しない。
夏休みなどは、子どもたちは勉強してはいるが、いわゆる、おしゃべりタイムのたまり場になっている。
それはそれで、長期入院の子たちの、気晴らしな時間なのだろうと思う。
 
その日はしかし、消灯時間後ずーっと、大人の話声が聞こえてきていた。
力は寝ている模様も、もぞもぞ身体を動かしていた。ちょっと気になっている様子だ。
うるさいと言うほどではないが、あまりにも長時間だし、隣をのぞいてみると、
抱っこひもでベビーを抱いた若いママたちが井戸端真っ最中である。
きっとベビーが寝なくて困って、寄り集まってこうなったのだろう。
ほたっとこうかとも思ったが、大人だったので、注意した。
悪気ない皆さん、すぐに謝って散って行ったが、なんだかなあ、、、、。
 
 
 
いろいろに気になったり注意してしまうのは、自分がおばはん化したってこと。そう、自覚は大いにある。
 
しかし。懐かしく思ったのだ。
以前なら、病棟のベテラン看護師のおねえさま方が、日勤時間はもちろんのこと、準夜勤でも、夜勤でも、
目を光らせて病棟のルールを皆に徹底していた気がする。
消灯後、病室でこっそりテレビつけていようものなら、カーテンをガッとあけられて、
大人でも子どもでもかまわず怒られていた。
廊下を走り回ったり、食堂で騒いでいたら、めちゃくちゃどやされていた。
でも、そんなお姉さま方は厳しい代わりに、精神的に参っている時のフォローや家族のケアなど、
しっかりやってくれていたのだ。
 
そのころ病棟最恐と言われていた人が以前、うちの担当さんだったが、
私も力のケアのことで散々叱られ、それですっかり鍛えられた。怖いけどありがたい存在だった。
 
そのお姉さま方は、今は引退したり退職したりで、たった一人だけ残っていてくれた。
退院時、しみじみ、話したのだった。
もう、私しか、注意しないのよね。。。と。
 
我が身かわいさ過ぎると、秩序が無くなる。
秩序が無くなれば、多くの人が、
嫌な思いをして、見て見ぬふりして、どんどん周りに無関心になるばかりなのではないかと思う。
いわゆる、怖いベテランさんたち、嫌われ役を買って、皆が気持ちよく過ごせるよう にしてくれていたのだ。
 
病棟で明らかに悪意を持ってる人は、本当に少ない。(実際、強烈に悪意持っている人もいるのも事実だが)
でも、以前よりずっと、無邪気にルール違反をしてる度が上がっている気がしたのだ。
これって、今の社会そのものじゃないのか。
 
 
世知辛いこの時世で難しいのだろうが、できればスタッフさんにも、病棟管理、やってほしいんだがなあ。。。。