みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

ハリーコール並みの危機

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先日、看護師さんやヘルパーさんと緊急時対応のことについて、時間を持ったばかりだったが、
状況は違えど、自分自身がどーんと温度下がるエピソードに会うことになった。

先週、定期受診だった。
耳鼻科でカニューレ交換の際、じょくそうのひどさにショックを受け、
加えて、
切開孔内に、また、得体のしれないエイリアンのような肉芽を見つけてしまったことで、
すっかり盆気分は吹っ飛んでしまっていた。

まずはじょくそうから、と、人工皮膚での処置のみをして、帰宅したのだが、
この一週間で、この処置が奏功し、そこそこの回復をみていた。
ただ、孔のすぐ上の悪化したじょくそうのみならず、首周り、しかも、左右ともに、よくない状況に。
全く、悪くなる時は一気に同時に、というのが、常道だ。
紐の減圧のために、またスポンジを3か所も挿入し、紐も緩めに結ぶように指示されているので、
カニューレ部分が不安定でしょうがない。それで、痰も多い。
そして、こんな状況でも、力は自分でうつぶせになろうなろうと動く。
カニューレがつっかえてしまっていることが何度もあった。
目が離せない毎日で、本日の受診を待っていたような感じであった。

今日は耳鼻科だけだし、流行宣言が出たインフルエンザも心配なので、おねえたちには留守番を命じた。
偶然、ばあちゃんから前日に電話があって、今週一日は手伝いに来てやるよ、とのことだったので、
急きょ、受診時におねえたちと一緒に留守番しておいて、と軽く依頼。これが後に渡りに船になった。

予約は昼前だったが、担当医師と、看護師さんが昼食を食べずに待機してくれていた。
前回の肉芽除去は、予想外のミニ手術状態となり、血みどろの戦いとなったため、
今回は万全に人員確保、というわけだ。

まずはじょくそうを診察してもらったが、少し良くなっていることがわかり、少し安心。
また、先週は間に合わなかった新しいオーダーカニューレが届いており、それを試すことになった。

そして、本日メインの肉芽除去。

いろいろを準備して、開始。
カニューレを外して、中の肉芽を除去しなければならないので、
呼吸状態を観察しながら、すばやさが求められる。

カニューレを外すと、もちろん、呼吸が苦しくなる。しかも、除去となると、出血多。
前回は、大きな肉芽だったため、かえって処置がうまいこといったのだが、
今回の肉芽は、固くて気道にしっかりくっついている状態。難儀なものだった。

外して処置し、またカニューレを挿入して血液等吸引して、の繰り返しで行う感じだったが、
二度目に抜いて、処置、苦しそうになってカニューレを挿入したところ、顔色がぐっと悪くなった。
出血も多い。お手伝いをしていた私の手も血だらけになっていた。

急いで酸素飽和度をチェックしながら、酸素を投与し、アンビューバッグで圧をかけて呼吸を促すが、
なかなか酸素飽和度が上がらない。チアノーゼ状態。

酸素も行き、バッグも押せているのに、回復しないのはなぜだ?
いろいろやるが、なかなか回復しない状態が続く。表情も固まっている。
なんでなんで?という状態が続き、酸素飽和度は下がった状態も続いていた。

これって緊急事態だ。いきなりやってきたハリーコール並みの危機。私も事の重大さを理解できぬまま、
そういえば、カニューレ入れる時に、けいれんらしき動きをした気がしたなあと、思い返していた。
そうだ、と、覚醒させるべく、胸をたたいたり、鼻をつまんだりしてみた。
医師や看護師は、ばたばたと動いてくれていたが、
何が良かったのか、定かでないが、これは、という前に、少し意識が戻ってきた。
顔色は悪いながら、せき込んで、少し持ち上がってきた。

今考えると、出血か、呼吸難しい状況で、一気に体にストレスがかかり、けいれんを誘発したのだろう。
前回処置中には、けいれん発作はまだ出ていなかったこともあり、
発作が起こるかも、とは、思い至らなかった。

やっぱり、無理は出来ないんだ。。。。

けいれん発作の怖さが身にしみた。

落ち着いたが、けいれん発作の後遺症のような、手足のピクつきが見られたため、
けいれんなどの全般を診てもらっている神経科の担当医に耳鼻科医から連絡してもらうと、
すぐに診に来てくれた。

すでにピク付きもなくなり、落ち着いていたが、やはり、大きなストレスが引き金になったのだろう、
とのことだった。
また、今度処置をするときは、外来ではなくきちんと入院して処置にあたったほうがいいでしょう、
との結論に、医師たちでも達した。

無理してやるメリットはどこにもないのだ。

落ち着きは取り戻したものの、顔色はいいとは到底言えない状態の力。ぐったりしている。
そりゃ、しんどいだろう。
酸素飽和度も不安定だったため、院内で数時間待機することになった。

待合室でバギーに乗って酸素投与してもらいながら過ごした。
ちょくちょく神経科の医師も、耳鼻科の医師も、手があけば診に来てくれたので、よかった。

1時間して、注入を開始してみると、満腹になってきたのか眠ってしまった。
眠ってしまうと少し数値を下げるが、安定。

これなら、注入後、帰宅できそうやね、と言っていたら、目を覚まし、
ひょろひょろと酸素の値を下げ、嘔吐した。

あー。。。。。これじゃ、帰れませんね。

また待機。

またすぐに力は眠ってしまい、私もついうとうとしていたが、それからは、一度も下げることなく、
過ごせていた。

ただ、顔色が悪いことを心配した神経の医師が、開院時間ぎりぎりまで待機して、
その時の状態で、入院か帰宅か、決めましょう。とのこと。

確かに顔色はすぐれない。活気もない。私としても微妙だなあというところ。

17時になり、また来てくれた医師は、どうします?お母さんがいいように、
と、私の意見を尊重してくれることになり、悩んだ末、帰宅することにした。

何かあれば、すぐに、戻ってきてくださいね!という医師の言葉を背に、帰宅。

ぐったりしていたが、帰宅し、おねえたちの顔を見ると、ちょっと気が紛れたようだ。
それからは、機嫌も良く、安定して、酸素飽和度も一度も下げることなく、早めに眠ってしまった。
おねえたち、ばあちゃんが来てくれてなかったら、終日、子どもだけで留守番になるところだった。
こちらの心配がないだけ、私のほうも助かった。

安定したとはいえ、油断大敵である。
今夜はモニタしながら酸素投与して、できる限り観察し続ける予定。

久しぶりにいきなりやってきた、怖い怖い事態。
まさに、油断大敵、という言葉を、思い返した。
入院しなくなったし、ある程度の体調の波は、コントロールできている気になっていたが、
多分これは、力の私たちに対する警報だろう。
気を抜いてはいかんな。ずーっと戦闘態勢がスタンダード路線ってこと。


なにはともあれ、戻ってよかった。ほんと、皆さんのおかげ。
いろんなことに、感謝感謝だ。