みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

「聞こえ」アップ!!

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本日通園。

昨日、母所用のため、朝早くからヘルパーさんにお願いし、その後ばあちゃんにリレーして、
昼過ぎに帰宅したのだが、
どうも、それが気に入らなかったのか、
それとも、ヘルパーさんやばあちゃんに対して、テンション上がったのか、
昼寝もまともにせず、夕方少し寝ただけで、
夜普通に寝たと思いきや、夜中1時半ごろ起きだして、そのまま2時間弱起きていた。

しかも、今朝は6時半には起きてうんち。
そのまま目を覚ましており、
ちょこっと咳きこみ、吐いたら朝寝モード。

でも、移動があるので、着替えて出発しようとしたら、目を覚ましてぼんやり。

ピクつきなちっちゃなけいれんみたいな動きもある。微妙すぎるなあ、と思いつつ、
とりあえず登園した。

到着してもぼんやりモード。いきなり泣いたりで、不安定。
今日は朝からどんよりと曇り、昼から雨の予報。蒸し蒸しじめじめな状態も、拍車をかけているような。


本日の保育メニューは園庭遊びだったが、保育士さんの配慮もあり、ちょうどタイミングもあり、で、
皆とは別に、言語聴覚士さんとの訓練時間となった。

昨年から担当になってもらっていた先生だったが、こちらの体調や都合の面で会う機会がなく、
本格的に顔合わせたのは初めて。
力は緊張していたが、静かな部屋に移って、いろいろと先生と私で話しているうちに、
少し警戒心が解けたようだ。
何となく機嫌よくなってきた。

先生は、力に気づかれないように、聴覚検査用の拡声器みたいなもので、計測してくれた。
まだ意思表示できない小さな子どもの聴覚検査は、
大人が、子どもの顔つきや、体の反応などで、
「聞こえている」「聞こえていない」と判断するもので、あいまいだ、といえばいえるのだが、
多分、いつも一緒にいる家族などの判断は、かなりの信ぴょう性はあると思う。

力の音が聞こえたサインは、こうだ。

1.ぴた、と一瞬動きが止まる。
2.まゆがあがる。
3.白眼になる

微妙な時もあるので、よく観察しなければなのだが、
今日は、厳しめに見積もって、ベテラン先生の見立ても含めて、

「50dB」

をクリアしたのではないか、という判定が下った。

dB(デシベル)は、正常の人は30以下と言われている。
数値が大きくなるほど聞こえにくさがあがり、91以上でほとんど聞こえない「高度難聴」だ。

力は、昨年までは、70dB=大きな声は聞こえるが、というところだったが、
一緒に生活する私たちは、
もうずいぶん前から、力が難聴だ、という意識はなく、
普通の声(が、家族全員結構でかい声)で話しかけ、普通に過ごしている毎日の中で、
だいたい普通に、反応しているのでは、という感覚を持っているので、
おそらく、70dBよりももっと聞こえているのだろう、と思ってはいた。

でも、こうやって、客観的に判定されると、やっぱりうれしいものである。

何度もやっていると、やっぱり飽きたらしく、もう知らん~、という顔になったのもおもしろかった。

その後、一本橋こちょこちょと、布ぶらんこをやって、反応をみてもらい、終了。

食事時には眠ってしまい、起きたら元気になっていた。やっぱ寝不足だ。

気温が上がるのが早いなあ、梅雨時期が早いんじゃないか、とどきどきするこのごろだが、
温暖化がこんな日常にも、影響ひしひしである。