「万年青」
を、私が正しく読めるのは、ひとえに、いけばなをしていたからに他ならない。
「おもと」
と読む。
いけばなは、学生時当初、私の母から花嫁修業の一環として無理やり知人の先生のところへ連行され、
はじめたものだ。
最初は全く納得いかなかったのだが、すぐにはまって、教授免許までいただいたほど長く続いた。
先生は、とても自由にいけさせて下さる方で、私の性に合ったこともあるが、
「華道」自体の、いける際の集中力や、
日本古来の決まり事の意味やデザイン性、枝葉の取捨選択、優先順位のおもしろさがあり、
最初思っていた女性的で静的な印象と全く異なり、
とても奥深いスリリングな「道」だということがわかったからだ。
正月は、いけばなをしていることが最も生きるイベントで、
家族にも重宝がられていたが、
出産を機に一旦止めて趣味的にしかいけなくなっていた。
特にここ数年は、いろいろを理由に、ちゃんとした花形をやらずに今に至る。
やらないと、すっかり手も落ちてしまっている。
しかし、このたびの正月花で、ふと、「万年青」をいけたくなった。
商店街の花屋に行って尋ねると、
「万年青はねー、もう、ちゃんと生けきる人が少なくなったけん、事前注文だけになるとよ。」
とのこと。
そうよねー、いつも店頭にあるような花じゃないもの。
「でも、もしかすると、余るかもしれんけん、電話してみて。」
とのことだったので、期待せずに待っていたら、一式あまったらしく手に入れることができた。
久々にいけるので、すっかり忘れていた。
いけかたを紐解き、時間はかかったが、いけ終わったらほっと満足だった。
「万年青」には意味がある。
名前の通り、
幾久しく、青々としていられますように、
また、
真に若葉、それを囲むように、齢を重ねる葉をいけ、最も後方に最も老いた葉が立つ型は、
子を大事に守り、子々孫々が、代々続きますように、との意味である。
正月のような祝時にしかいけない「万年青」は、
その意味をいつもかみしめられ、気分が引き締まる。
おせちと一緒だ。
忘れずに、子どもたちに伝えるべきこと。
2008年、今年もご訪問いただきありがとうございました。
おかげさまで、力も大きな病気もせずに、1年間を無事に過ごすことができました。
新しい年もどうぞよろしくお願いいたします。