みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

夫の介護看護技術取得研修の監督を終えて

2週間にわたる夫の研修が先日終わり、また日常に戻った。
戻ってすぐに、力も緊張?の糸が切れたのか調子が悪くなり、またハード目な数日となってしまった。


研修監督として総合評価するなら、自己採点しているように「可」ということになるだろう。
技術取得にしては、短期間すぎる。
カニューレの紐交換ひとつとっても、ハハの私は、この3年半、延べ千数百回を、
試行錯誤しながら、ひとりきりでやって、ここまできたのだ。
たかだか2週間のうちに数回やってみただけで「5分で交換」レベルになってたまるかってんだ。

まあ、そうはいっても、私は初めて、一晩家から離れることができた。
これでとりあえずは、何か私にあったとしても、
何とか力が不都合な目にあうことは避けられるだろうと思える状況になったことは、
夫にとっても私にとっても、とても大きな意味があったといえる。

また、夫は書いていないが、家での看護以外に、
療育センター通園に夫が2度も同行できたことは大きい。
力の運動会などのイベント事に、力の体調不調からことごとく不参加だったため、
療育センターでのソトヅラな力を全く見たことがなかった夫は、
お友達たちに囲まれて受けている保育やリハビリに、実際に関わることができたことで、
少しは雰囲気を肌で感じることができただろうと思う。
また、月一の定期受診にちょうどあたり、同行して何科も受診し、
処方された薬を大量に持ち帰る、ハードな一日を経験したことも、よかったと思う。


夫が経験した上で書いているように、まさに、力のお世話は、
「命のリスクを通常より多くかかえた育児」
だと、私も思っている。

でも、
一つ夫が書いているのを訂正するなら、「辛い」ことでは全然ないことだ。
眠くて身体がしんどい時も多々あるが、「辛い」と思ったことは今まで一度もない。
おねえ達の育児期間の方がある意味、よっぽど辛く、すさんでいた、と思う。

それはなぜかというと、

「『母親なら』やって、やれて当たり前」

と思い、思われているからだ。

療育センターの保育士さんや訪問看護師さんなど、
この看護研修期間を設定し、実行している夫に対して、

「すごいですねー。」「なんていいお父さんなんでしょう。」

などと、方々で言われたが、
言われるたびに、
育児や看護、介護を女性(娘・妻・母親)が一身に背負っている状況は、ヘンで異常だと強く思った。

力が元気に生まれて育っていれば、
多分おねえ達の育児期と同じように、仕事をしながら私がほとんど育児と家事をして、
夫は忙しく働き、家や育児のことは、ほとんどできずに、やれずに、過ごしていただろう。
子どもを夫に任せて私だけ一泊旅行など、考えることもなかったかもしれない。
日常のたくさんのケアが必要な力を授かり、はた目から見ても育児が明らかに大変そう、
と気づいて初めて、夫は動き、やらざるを得なかった。

「力くんは、お父さんを変えるために、生まれてきたのよ。」

長期入院の最中に、看護師さんに言われた言葉だ。今、それを実感している。


2週間は技術習得にはとても短い期間ではあったが、総じて、家族にとって大変有意義であった。
おねえ達にとっても、帰宅すると家に父がいる、という、
今までは考えられないような平日を、何日も過ごすことができて、
ハウステンボスよりも楽しかったと言っていたくらいだ。

この期間が、これからの時間にいい影響があることを願うとともに、
妻を自由にしてやりたい、という気持ちを持って自分なりには努力した夫と、
お手伝いと座持ちを頑張ってくれた娘たち、
不慣れな夫をしょうがねえなあと見守りつつ、体調キープしてくれた力に感謝したい。