子どもはオトナを映す鏡である。
先日、下のおねえRと一緒に洗濯物をたたんでいた時のこと。
R:あー、これ、びみょー。あ、これも。
母:あ、ホント?ビミョーやった?ごめんごめん。
天候いまひとつすっきりしないこのところ、洗濯物もなかなかすっきりと乾かない日々。
夕方取り込むも、カラッと乾いてないことが多かった。
おねえたち、かなり厳しくチェックしながらたたんでいるので、
すぐに気づいて、ピックアップするのだ。
で、上記のような会話だ。
客観的に聞くと、何のことやら、何もわからんではないか。
ふと、母は、これじゃいかんぞ、と思って、Rに尋ねた。
母:ねえねえ、ビミョーってさ、どんな意味だと思う?
R:うーん??
母:じゃあさ、ビミョーって、どんな時に使う言葉だと思う?
R:うーん、そうねえ。。。
あ、わかったわかった。あのね、ご飯(食事)食べる時にね、
あー、これちょっといまいちおいしくないなあ、と思ってもね、
「おいしくない。」っていうと、作ってくれた人に悪いやん?
だけん、そんなときに、「びみょー。」って言う。
母、この回答に、腹を抱えてしまった。
うんうん、いまどき、そんな使い方を「オトナ」がしている。
広辞苑にもとりあげられた「ラブラブ」も、「超~」も、「ビミョー」も、オトナ発信の言葉である。
言葉づかいをちゃんとしなさい!、なんて、子どもに言えるのか?言えんなあ。。。
全く。
子どもはオトナを、社会を映す鏡なのだ。
「子」の振り見て、我が振り直せ!!