みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

モンスターの行き着くところは?

力がお世話になっているヘルパーさんの事業所は、
代表者が進行性筋ジスで、今では目を動かす程度だと言う。
彼は、自分が助けてもらったように、
障害があって困っている人たちを助けたい、と、
サポートしてくれる人たちと共に事業所を興したそうだ。

だから、ヘルパーの仕事以上の要望にも、
どうにかして応えようとしてくれる。
力がいる生活も、そんなヘルパーさんたちの厚意と熱意のお陰で成りたっている、
と言っていいと思う。

医療現場はもはや、心あるスタッフそれぞれの、
熱意や使命感、そして、自己犠牲によって、かろうじてまわっている。
私の親しい友人の医師も、
ずたぼろになり家庭との両立を悩みながら、
患者にとって満足いく医療を目指している。
ホント、こんな現状、どうにかしないと、と、患者としては危険を感じるほど。

そこにきて、モンスターだ。

教育の現場の、モンスターペアレントという言葉は随分知られてきたが、
医療の現場でも同じく、
モンスターペイシェント、という言葉が使われるようになって久しい。
クレーマー、とも。

どんな行動がモンスターなのか、
受ける側の解釈によって、微妙に異なるのだろうが、
明らかに理不尽なふるまいや言動をするモンスターを、
私も、長い入院生活で見聞きしている。

確信犯的モンスターの輩は、社会を乱すものであることは間違いない。
難しいのは、
自分の意見が正しいと思い込み、正当な権利を主張しているつもりの、
勘違いモンスターたち。
正しいと思っている分、本当にたちが悪いのだ。
共通しているのは、自分たちを相手より格上だと思っていること。

「~やってもらって当たり前(だってこっちがお客様でしょ?)」

というやつ。

教育も、医療も、現場と家庭(当事者)は、
どちらが格上でも格下でもない。
やってもらう、とか、してやっている、なんて思っていて、うまくいくわけがないのだ。

まあ、現実は、やっぱりいろんなバリエーションで、
上下差があるのは否めない。
みんな平等に!と言う言葉なんて青臭く非現実的ではあるのだが、
やっぱり、それぞれで、どうにかしてタッグを組むことの大事さ、だ。
一方的にクレームつけても、人と場を萎縮させるだけで、
何もプラスになりはしない。

できません、やれません、と言えばいいだけだ。
そんな筋合い、あるもんか、
と開き直り、熱意、厚意、使命感を放棄されたら、
世の中は全く、世知辛いなんてもんじゃない。

結局はモンスターたち、まわりまわって、
自分たちが袋小路に追い込まれてゆく。
それを自覚した時に、解放されるのだろうか?
いや、そもそも自覚したくない、もしくは、しない、かだ。
私も身近に、そんな人の被害にあったことあるが、
いつまでも気づかぬふり決め込んでいるもの。


理不尽な言いがかり、誰かにつけてませんか?