力がお世話になっているヘルパーさんの事業所は、
代表者が進行性筋ジスで、今では目を動かす程度だと言う。
彼は、自分が助けてもらったように、
障害があって困っている人たちを助けたい、と、
サポートしてくれる人たちと共に事業所を興したそうだ。
だから、ヘルパーの仕事以上の要望にも、
どうにかして応えようとしてくれる。
力がいる生活も、そんなヘルパーさんたちの厚意と熱意のお陰で成りたっている、
と言っていいと思う。
医療現場はもはや、心あるスタッフそれぞれの、
熱意や使命感、そして、自己犠牲によって、かろうじてまわっている。
私の親しい友人の医師も、
ずたぼろになり家庭との両立を悩みながら、
患者にとって満足いく医療を目指している。
ホント、こんな現状、どうにかしないと、と、患者としては危険を感じるほど。
そこにきて、モンスターだ。
教育の現場の、モンスターペアレントという言葉は随分知られてきたが、
医療の現場でも同じく、
モンスターペイシェント、という言葉が使われるようになって久しい。
クレーマー、とも。
どんな行動がモンスターなのか、
受ける側の解釈によって、微妙に異なるのだろうが、
明らかに理不尽なふるまいや言動をするモンスターを、
私も、長い入院生活で見聞きしている。
確信犯的モンスターの輩は、社会を乱すものであることは間違いない。
難しいのは、
自分の意見が正しいと思い込み、正当な権利を主張しているつもりの、
勘違いモンスターたち。
正しいと思っている分、本当にたちが悪いのだ。
共通しているのは、自分たちを相手より格上だと思っていること。
「~やってもらって当たり前(だってこっちがお客様でしょ?)」
というやつ。
教育も、医療も、現場と家庭(当事者)は、
どちらが格上でも格下でもない。
やってもらう、とか、してやっている、なんて思っていて、うまくいくわけがないのだ。
まあ、現実は、やっぱりいろんなバリエーションで、
上下差があるのは否めない。
みんな平等に!と言う言葉なんて青臭く非現実的ではあるのだが、
やっぱり、それぞれで、どうにかしてタッグを組むことの大事さ、だ。
一方的にクレームつけても、人と場を萎縮させるだけで、
何もプラスになりはしない。
できません、やれません、と言えばいいだけだ。
そんな筋合い、あるもんか、
と開き直り、熱意、厚意、使命感を放棄されたら、
世の中は全く、世知辛いなんてもんじゃない。
結局はモンスターたち、まわりまわって、
自分たちが袋小路に追い込まれてゆく。
それを自覚した時に、解放されるのだろうか?
いや、そもそも自覚したくない、もしくは、しない、かだ。
私も身近に、そんな人の被害にあったことあるが、
いつまでも気づかぬふり決め込んでいるもの。
理不尽な言いがかり、誰かにつけてませんか?