みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

柔(やわら)~YAWARA、ママでも金

ヤワラちゃん

最初にネーミングしたのは果たして誰なんだろう。
こんなところまでくると、予想していたんだろうか。
なんとまあ、的を得た名づけなのだろう。感心する。


国際柔道連盟理事、日本人ゼロのニュースを前哨戦に始まった世界柔道
井上、鈴木がメダルに絡むことなく敗れ、
他の階級の選手も銅メダルが精一杯、という状況。
日本柔道の将来に真っ黒な暗雲が漂いつつ終わろうとしていた最終日にやってくれた。

「ママでも金」

このフレーズ、
谷亮子が言い出したのか、それとも他の誰かなのかは知らないが、
いかにもマスコミちっく、で、なんじゃそりゃ、
と、個人的には思っていた。

谷亮子はご当地の出身。
この辺をランニングしていた、とか、
(私の)弟の友人が中学生時、道場で小学生の彼女に、組んで2秒で投げられたことがある、とか、
(私の)母が、ショッピングセンターで実母と買い物している彼女に会ったとか、
結構身近なので(ただし私は面識なし)、とりあえず応援していた。
ここ一番の強さは、本当に魅力的だ。

全日本選抜体重別選手権で敗れながら、この世界柔道の出場権を得た谷亮子
世間の人の大方は、何で?と思いながら、
大きな声で口に出せずにいたところは、
「田村→谷亮子」の実績(とスポンサーの力)がモノを言った、というところなのだろう。

そんなこともあって、
この世界柔道女子48キロ級出場の谷亮子は、
今迄で最も意地悪な目で注目されていた。
さらに、初日から日本惨敗の嫌なムード。

そんな中で、この試合だ。
まわりのもやもやは、もはや彼女の勝負への執念には全く関係なし。
みていて、ちょっと感動した。

田村亮子時代は、
ギラギラして、ものすごい迫力を前面に押し出していた。
谷亮子になって少し変わった感じはあったが、まだイケイケだった。
全日本選手権では、明らかに、産休による試合勘の戻りの悪さがあったようだが、
この世界柔道谷亮子はどうだろう!

まさに、ママでも金。その通りだ。

柔らかな穏やかな中のすごい闘志。
柔道させてもらってありがとう!そんな気持ちが感じられた。

乳児を抱えて世界で戦うなんて、
並大抵の才能や努力では、できない。
でも、本人も言っていたが、
周りのサポートだって、並大抵ではないだろう。
そんな、いろいろが、表れていた。

谷亮子はこの世界柔道で、他の選手とは違う次元に到達した。
彼女を越える選手は、二度と出てこないのではないだろうか?
これからは、心から応援したい。

もう、彼女は、田村でも、谷でも、ママでもない。

柔(やわら)だ。