みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

⑬スタートラインに立った

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「みんなのチカラに」連載第13回目が掲載されました。
http://www.nishinippon.co.jp/medical/2006/12/post_228.php

四度目の手術は、
何が何だかわららないままに、
重い課題を突きつけられた、連続三度の手術よりも、
不安や緊張が大きかったです。

ここまできて、万が一なんてこと、
まさかないよね、と。

でも、無事に戻ってきてくれました。
ありがとうありがとうと、
何度も心の中で、思いました。

霊験あらたかとうわさの神社に、祈願に行ったのは行ったのですが、
今思いなおすと、不思議なことに、
力のことで、今まで、
「神様ヘルプ!」
と思ったことは一度もなく、
「力の生きたい!と思うチカラを信じる」
ことばかりでした。

とにもかくにも、
力のがんばりと、
手術をしてくれた、
GOD HANDSを持つ先生方に、感謝したいです。


みんなのチカラに<13>スタートラインに立った

 壊死(えし)した部分を切除したままになっている力(ちから)の小腸をつなぐ手術は、予定されていた「切除後1カ月」を過ぎてもできそうになかった。手術傷に繁殖したMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)のため、回復が遅れたからだ。

 2カ月たって傷がようやくふさがり、5月末に手術の予定が組まれた。おじいちゃんが「絶対に行け」と強く言うので、前日に神社へ手術の成功祈願に行った。

 手術は午後1番目。朝から力、大の字でぐっすり眠っていた。午前中は処置などが何もなかったのでのんびり。朝の回診で周りはバタバタしていたが、力の病室だけは時間が止まったかのよう。それから自然に目を覚まし、ずっとご機嫌で私と遊んでくれた。

 午後、手術場搬入の少し前に夫が仕事を終わらせてやってきた。夫を見て安心したのか、力はすっと眠ってしまった。手術と分かっているのだろうか? 予定通り手術場へ入った。私たちはそれまでの三度の手術前と同じく、験担ぎのためのトンカツ弁当を食べた。おいしいと評判の店の弁当だったにもかかわらず、全く味がしなかった。これもまたいつもと同じ。

 今回の縫合手術は長くなれば3、4時間と術前説明の際に言われていた。開腹して中の癒着の程度次第だと。癒着がひどすぎて、そのまま閉腹もある、と聞いていた。最悪、このまま力に会えなかったら、と、考えれば考えるだけ悪い方向に気持ちが向いてしまう。手術四度目といったってちっとも慣れないよ、こればっかりは。

 午後4時すぎ。「無事終わりました」と告げられた。ええー、もう? 早かった。手術場から戻ってきた力はとても元気そうで血色もよく、既に覚醒(かくせい)して泣いていた。

 しばらくして外科医から話があった。思ったよりも癒着が軽かった。当初、切除した腸の断面は胃側が太く、大腸側が細くなっており、口径差がかなりあるので、縫合するとつなぎ目がいびつになると予想されていたが、実際はあまり差がなかった。うまく縫合でき、縫合不全のリスクが低下した、とのことだった。

 縫合前の開腹した状態のデジカメ写真画像や、うまくつなぐために一部切除した小腸の切れ端などを実際に見せてもらい、視覚的にも納得できた術後説明だった。担当医は予想以上に手術経過が良かったからか、久々に安堵(あんど)の表情だった。

 その後、短時間だったが集中治療室(ICU)で力に会えた。力は眠っていたが、手を握ると、かすかに分かった顔をした気がした。今朝まで、力が自分たちの下に戻ってくるか不安でしょうがなかった。会えてほっとした。力、よく頑張ったね! ありがとう。ありがとう。

 今夜はICUの予定で、順調なら明日は病棟。それからが始まりだ。スタートラインに立つことができて本当によかった。明日からぼちぼち行こう。あせらずに。